文字を持たなかった昭和418 おしゃれ(14) 身につけていたものの記憶

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴っている。

 これまでは、ミヨ子の生い立ち、嫁ぎ先の農家(わたしの生家)での生活や農作業、たまに季節の行事などについて述べてきた。ここらで趣向を変えおしゃれをテーマにすることにして、モンペ姉さんかぶり農作業用帽子などのふだん着に続き、「毛糸」と呼んでいたニット製品の中でも印象的だった「チョッキ」カーディガンブラウスなど、よそ行きにしていた服について書いた。概ね昭和40年代後半から50年代前半のことだ。

 それぞれのアイテムに現役主婦だった頃のミヨ子の姿を重ねながら書いているのだが、前項の「スカートの裾」のように、埋もれていた記憶がするすると浮かぶことがあって驚く。ミヨ子の「おしゃれ」について書き始めたとき、こんなにいろいろなエピソードを思い出すとは予想していなかった。

 よく、匂いは記憶と深く結びつく、と言われる。じつは衣類などの身につけるものも記憶に残りやすいのかもしれない。それらは身につけている人の性格や人格、暮らしぶりと直結するものだから。

 しかし、ミヨ子の夫・二夫(つぎお。父)が身につけていたものもそれなりに覚えているし、それぞれの場面での思い出もあるが、ミヨ子のそれよりはぼんやりしている。子供なりに女性どうしとして共通するなにかが、身につけているものへの興味、関心を呼びよせたということだろうか。あるいはたんに、自分の母親の暮らしぶりを注意深く観察していた、ということなのか。

 いずれにしても、おしゃれ――と言えるようなことはしていなかったにせよ――を切り口に、若かった頃のミヨ子を振り返る作業は思いのほか楽しい。だから、もう少し続けることにする。

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