文字を持たなかった昭和498 酷使してきた体(11)自転車での転倒②
昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴っている。
このところはミヨ子の病歴や体調の変化などについて記しているが、働き盛りを過ぎてからの体の状況のひとつとして、自転車での転倒について途中まで述べた。高校卒業後県外で進学した娘の二三四(わたし)の代わりに、その自転車を日常的に使うようになったところまで、である(前項①)。
しかし60代の後半だろうか。ミヨ子はふだんのように自転車を走らせていて、転倒してしまった。そのときの様子を二三四は詳しくは聞かされていない。そんなことがあったと聞いたのも、ずいぶんあとになってからだ。
それを知ったのは、帰省した二三四と外出しようとしてミヨ子が身支度していたときだった。ミヨ子は70代になっていたと思う。髪にピンを止めようとしていたミヨ子が、ヘアピンを持った右手を左手で押し上げるようにしていたのだ。不自然な動作に思わず目を止めた二三四に
「前に自転車で転んだとき腕を捻ってね。それから右の手が上がらなくなったのよ」
とミヨ子が呟いた。自転車が倒れたときについた右腕に体重がかかり、捻ってしまったのだという。
「病院には行かなかったの?」と二三四。
「痛かったから湿布は貼ったけど、病院にまではねぇ……。お父さんに連れていってもらうのも悪いから」
まただ。病院嫌い、医者嫌いの夫に気を遣い、ミヨ子はいつも自分の体調を後回しにしてきた。その結果具合がもっと悪くなることもあった。
このときもどうやらすぐ整形外科に行くべきだったようで、後日別の症状で整形外科に行ったときに腕の状態を話したところ、レントゲンを撮った結果「もう骨が固まってるから、これ以上治しようがない」と言われたらしい。
腕を下した状態ならふだんの動作は問題なかったから、料理や家事はまあふつうにできた。しかし上げるのが難しいので農作業には影響があったはずだ。そこは夫の二夫(つぎお。父)がカバーしていたのか。
さらに、年を重ねるにつれて可動域が狭まってきたのか、ふつうに生活できるとは言っても食器を持つときも手に微妙な角度をつけないとうまく持てない状態になった。お箸は使えるが、なんとなくぎこちない。見ようによっては品がない。
長男のカズアキからは、同居を始めてから食事のときたびたび「皿の持ち方がおかしい」と言われたが、こればかりはどうしようもない。ミヨ子はどう思っているか知らないが、責めるなら、すぐ病院に連れていってくれなかったお父さんに言ってくれ、と二三四は言いたくなるのだった。