最近のミヨ子さん(ビデオ通話5-5補足、地名)

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴ってきた。たまに、母の近況をメモ代わりに書いている。

 このところは、今秋の帰省を終えてからのビデオ通話の様子を記している。当たり障りのない会話に続き、最近のこと昔のことに話が広がった。

 ミヨ子さんとの会話では「昔のこと」がかなりの割合を占めるのだが、地名も例外ではない。前々項で触れた、わが家のミカン山だった場所の地名もそうだ(とっくにミカンを作らなくなったが、山は今もある)。

 国鉄鹿児島本線(当時)が山裾を通るその小さな山を、地元の人は「ツイガミッ」と呼んでいた。ミヨ子さんがミカン山を思い出すときも必ず「ツイガミッ」であり、「ツイガミッに行くときは…」「ツイガミッでは…」という話になるのだ。

 鹿児島弁では単語や言い回しが短縮されることが多い。この「ツイガミッ」も、わたしは長らく「〇〇ヶ道」が訛ったものだろうと思い込んでいた。が、12年前にミヨ子さんが夫に先立たれ――つまり父が亡くなり、土地の登記簿を書き換えるとき初めて、ここの地名は「手水ヶ水」であることを知った。

 手水ヶ水(ちょうずがみず)→ ちょうずがみっ→ちょしがみっ→ツイガミッ、という変化だろうか。

 たしかに、渓流というほどではないがミカン山には山から涌いた水が流れていて、お茶や昼ごはんのときは、そこで水を汲み、石を積んだ竈にヤカンや鍋を架けて沸かしたことを、わたしも覚えている。あれは手水、つまり手を洗う水(川)だったのか。

 それにしても「手水」ねぇ…、と思っていたら、このミカン山の地籍は二つに分かれていて、「手水ヶ水」以外に「辨弁天」で始まる土地があることをわりと最近知った。弁天様にお参りするのには山の小川で手を清めてから、というのは理にかなっている。

 ただ、その山に弁天様を祀っているという話を、一度も聞いたことがない。もし日常的、あるいは年に何回かでも地元の人がお参りしていれば、子供であっても何らかの形で漏れ聞いていたはずだが。インターネットで辺りの地名を調べてみても、相当しそうな場所はいまのところ見つかっていない。

 ミカン山は、うっかり立ち入るのが難しい状態になってもう何十年も経つ。土地を相続した兄もいずれ手放すだろう。弁天様も手水代わりの湧き水も、由来とともに忘れ去られるのかもしれない。

※直近の帰省については「続・帰省余話」17

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