最近のミヨ子さん 面会②

 鹿児島の農村で昭和5(1930)年に生まれたミヨ子さん(母)の近況の続きである。(前項「面会①」はこちら

 入院中のミヨ子さんのミヨ子さんの容態が急変、2月6日わたしは鹿児島へと向かい、カズアキさん(兄)と面会に赴いた。ミヨ子さんの容態は一時より安定していたが、言葉はほぼ発せなくなっていた。面会時間の15分が経とうとしカズアキさんは先に退出した。

 ほんとうは二人きりで会いたかった。ミヨ子さんの胸に置かれた左手を先ほどまで擦っていたわたしは、待ちかねていたハグをした。もちろん寝たままのミヨ子さんを抱き締めることはできず、傍から見たら覆いかぶさっているようだっただろう。ミヨ子さんの頭は小さく小さくなってしまっている。入れ歯を外しているため、ミイラのように見えなくもない。でもたしかにわたしのお母さんだ。萎んでしまった頭を抱き、髪を撫でる。何度も、何度も。

 ハグされたあと、ミヨ子さんはまた何か言おうとした――と思う。目に光が差し、歯のない口がもごもごと動く。赤ちゃんの喃語のような音がまた洩れる。

「お母さん、ないか たもろごちゃっなー」(何か食べたいよねー)
 それもまた、わたしがずっと気にしていたことだった。カズアキさんがミヨ子さんと最後にきちんと言葉を交わしたのは1月末、そのときはもう流動食だった。

 昨年11月にわたしが帰省してふるさとへ連れていったときは、ゆっくりとではあるが出された食事を平らげ、間食も喜んで食べた〈309〉。入院前、半年ほどお世話になっていた施設でもごはんはいつもお代わりしていたという。つい2カ月前まで、食べることには執着と言えるほどの意欲を見せていたのに。

 ミヨ子さんはわたしのこの問いかけにも、声にならない言葉をいくつか呟こうとした。

 じつはわたしのかばんの中には、柔らかいあんこを挟んだどら焼きがひとつあった。移動の途中で、何かミヨ子さんの口に運べるものがないかと買ったものだった。もちろん病院ではNGな行為だとわかってはいたが、看護師さんの「隙を見て」ミヨ子さんの口元にほんの少しでも運んであげられれば……というのがわたしの思いだった。

 しかし短い面会時間、帰りも急かされる中で、かばんから「それ」を取り出しパッケージを開く余裕も「隙」もなかった。それはあとで大きな悔いとなるのだが。

 このときの反応も含め、おそらくは最後の会話であろういくつかを、わたしは必死に聞き取ろうとしたが意味を掴めなかった。悔しいし、情けない。客観的に見れば「一時はいつ危篤になってもおかしくなかったのに、きちんと会えただけでも幸せ」なのだろう。しかし当事者――じつの母と娘――としては、そんな問題ではない、ということは第三者にわかってもらえる範囲でもあろう。

 ただ、わたしが帰ってきたことをミヨ子さんが喜び、「なにか」を伝えようとしていることはわかった。声にするだけのエネルギーが伴わないだけで。もちろんわたしが「そう思いたい」ということでもあるが、それが二人だけの空間で行われたことを、わたしは心の奥で大事に抱いておくだろう。(次は「面会後」)

〈309〉この時の様子は、ミヨ子さんの半生を綴った「文字を持たなかった昭和」の「帰省余話(2024秋 17) ゆっくり食べる②」で述べた。

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