昭和な、というわけでもない支払い「ツケ」
昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴っている。
このところ、昭和50年代前半に取り組んだハウスキュウリに失敗し一家が厳しい時代を迎えたことを書きつつあるり、ミヨ子さんたちのような専業農家は現金収入が限られる一方で、支出の抑制には限界があり、家計は八方ふさがりだったことなどを述べている。ちょうど前項では、現金が間に合わないときの「ツケ」払いについて述べたところだが、ここで横道に逸れる。
というのも、最近「ツケ」についてメディアなどで取り上げられることが増えているからだ。
ホストクラブでの支払い時に手持ちの現金が足りない場合、飲食代の金額とホスト名(もちろん店での源氏名)が手書きされた「青伝票」と呼ばれる借用書を渡され、ホストが立て替えたことなるシステムがあるそうで、要はツケ払い。それが重なり数百万円から数千万円の「ツケ」を抱えるケースもあるようだが、そうなると担当ホストから風俗や売春で稼いで「精算」することを提案され(海外の場合もあるらしい)、実際に女性が体を売るケースもあるとか。その金額の多さややりくちが問題視されているのは、報じられているとおりだ。
女性たちが、洗脳さながらにホストに「ハマっ」ていくよう仕向けるマニュアルもあるとかで、ホスト(クラブ)側の倫理も批難の対象になっている。また、もともと男女間の賃金格差ゆえにそれほど高収入ではない女性が、本業以外でお金を工面することの困難さもひとつの問題ではあるだろう。
ただ違和感を感じるのは「ツケ(払い)」自体が悪いかのように論評されることがままある点だ。
まるで「ツケ」はホスト業界特有の商習慣で、悪質な意図をもってその取引に誘いこみ、客側の(世間知らずな?)女性を青伝票でがんじがめにする――とでもいうようなイメージづけが行われているように思う。
しかし、「ツケ」は取引の一形態であり、一種の後払いでしかない。そして古くから行われてきた。農家のように、定期的な収入がない家業の場合、ツケが効く支払いはある意味ありがたいことだった。もちろん売る側にもリスクはあるし、ツケは現金払いより高めに設定されていることもままあり、買う側にもデメリットはあった。だがそれらを差し引いて、かつ相互の信頼のもとに、取引は成立していた。
その取引形態を意図的に悪用するかどうかは売る側のモラルが問われるし、客(消費者)側の賢さも問われる、という「だけ」のことだ。
と言ってしまえば、被害者とされる女性を貶めていると受け取られかねないだろうが、自分が出せる範囲のお金での遊びにとどめられず、客をいい気持ちにさせるのが仕事の玄人にのめりこむこと自体、抑制が効かないと思われてもしかたないのではないか。そもそも、この手の「いい気持ちにさせてお金を払わせる」商売はいくらでもある。
言いたいのは、「ツケ」そのものが悪いわけではない、ということだ。
歌舞伎町の有志のホストクラブの協会が、ツケ払いに関する制限などのルールを作ると表明している。けっこうなことだ。だが、もう一方つまり客側の性向まではコントロールできないのではないか。わたし自身はそちらのほうの問題も大きいと感じている。