文字を持たなかった昭和 帰省余話(2024秋 15) 海が見えるテーブル
昭和5(1930)年生まれで介護施設入所中のミヨ子さん(母)の様子を見に帰省し、数時間ながら郷里へ連れて行ったお話である。入所後初めて施設(グループホーム)を訪ねて再会し、車椅子も車に積んでふるさとへ向かう。寄り道が祟って予定より遅れたが海鮮市場に到着、久しぶりにいろいろな商品を目にするミヨ子さんはうれしそうだ。昼食は順番待ち、食堂の店頭のメニューやお惣菜を見たりするうちミヨ子さんがトイレに行きたいと言い出し、わたしは不要領ながらなんとか介助してあげた。
ようやく食事の順番が来た。案内されたテーブルに車椅子のミヨ子さんを連れて行ってくれるようツレに頼み、わたしは急いで決めてあったメニュー分の食券を買う。定食だけでは悪い気がしてソフトドリンクも人数分買った。
案内されたのは海への河口が見渡せる明るい席だ。もっともこの食堂は一部を除いて皆「オーシャンビュー」である。ミヨ子さんが海を見るのはどのくらいぶりだろうと思いながら、車椅子を海側につけてあげる。わたしにとっては学校の裏庭から通じていた懐かしい景色のひとつだが、よく考えたら、同じ町でも農村部の集落での生活が中心だったミヨ子さんが海をのんびり眺めたことは、ほとんどなかったかもしれない。
店員さんに食券を渡してから、セルフサービスの温かいお茶を取ってくる。ミヨ子さんは「たぎっちょっねー、うんまか」(あったかいね、おいしいわ)とほっとした表情だ。何につけ「お茶で一服」の生活を送ってきたのだから当然かもしれない。一瞬、ソフトドリンクは要らなかったかな、と思うがもう遅い。
ソフトドリンクが運ばれて少し口をつけたところで、それぞれの定食が運ばれてきた。ミヨ子さんはコロッケだ。割りばしを割ってあげる。「お母さん、コロッケには鯛の身が入ってるんだってよ」と念を押しながら。
わたしの分がきた。「はい、天丼です」。えっ! ミヨ子さんとシェアするつもりで、天ぷら定食を注文したはずなのに。どうやら慌てていて食券のボタンを押し間違えたようだ。しかたない、ご飯に載っている天ぷらを適宜シェアすることにしよう。
コロッケ定食には、サラダを添えた小ぶりのコロッケが3個、ご飯、味噌汁、小鉢、デザートがついていて、94歳のおばあさんが食べるには十分すぎる量だ。
ミヨ子さんは箸を取ってご飯を食べ始めた。味噌汁を一口飲んで「うんまか」(おいしい)。それはよかった。ミヨ子さんが食べやすいよう器の場所を入れ替えたり、コロッケを一口大に割ってあげたりと、わたしのミッションはあたふたと続く。