文字を持たなかった昭和529 野菜(2)エンドウ豆②「ぶんず豆」
昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴っている。
もうしばらく老境に入ってからのミヨ子について述べることにして、ミヨ子の野菜作りや野菜を使った料理について書き始めた。一つ目は「エンドウ豆」、毎年庭先の畑にミヨ子が苗を植え、たくさんのエンドウ豆(グリーンピース)を実らせていたことを書いた。
収穫したエンドウ豆は、すべからくサヤから実を取り出さなければならない。もしかするとサヤごと調理する方法があるのかもしれないが、サヤごと焼いて蒸し焼き状態にして火を通すこともある蚕豆(そらまめ)と違い、エンドウ豆をサヤから出さずに調理したことは、ミヨ子はなかった。
サヤを開くと、青々とした丸い実が端から端までびっしりと並んでいる。両端の実は小さいが、ミヨ子が育てたエンドウ豆は、いつも実が詰まっていて「はずれ」のことはめったにない。
その様を見るたびに、ミヨ子が必ず発したひと言がある。
「赤ちゃんの足みたい」
赤ちゃんの足を裏側から見ると、小さな足指の先が五つ揃って並んでいる。その様子と、サヤの中に行儀よく実が並んでいる状態が似ていると言いたいのだ。
逆に、近所の赤ちゃんがお母さんにおぶわれていて、おぶい紐から下がった両足がたまたま素足だったりすると、足の裏側から並んだ指を見たミヨ子は
「んだ、もぞかねー、ぶんず豆んごちゃ(まあ、かわいいこと、エンドウ豆みたい)」
と声を上げるのも常だった。
だから娘の二三四(わたし)の脳内にも「赤ちゃんの足の指=ぶんず豆(エンドウ豆)」という刷り込みが自然にできてしまった。いまもグリーンピースをサヤから出すとき、二三四の脳内では「足裏側から見た赤ちゃんの足の指」がちらつく。
しかし、「ぶんず豆」は正式な(?)鹿児島弁だったのだろうか? 二三四が愛用の「鹿児島弁ネット辞典」で調べたところ「ぶんず豆」は収録されていない。エンドウ豆で逆引きすると「えんず豆」ならあり「えんどう」の転訛したもの、とある。
「えんず」……。農村地帯に住んでいた二三四は、周囲の大人から「えんず」を聞いた記憶がない。母親はもとより、両方の祖母ともよく台所に立っていたから、「えんず」と言われていたら記憶に残るはずだ。なによりミヨ子は、明らかに「ぶんず豆」と言っていた。「えんず」が訛って地域に定着したのだろうか。
念のため、郷里に住み鹿児島弁研究の市民グループにも参加している親戚に確認したところ、やはり「自分たちが使っていたのはぶんず豆」という答えだった。ミヨ子にも聞いてみたいが、記憶があいまいになってきているからどうだろうか。いや、昔のことほど覚えているかもしれない。
《参考》
【公式】鹿児島弁ネット辞典(鹿児島弁辞典)>えんず
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