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文字を持たなかった昭和 二百二十(田の神講)
本日11月23日は勤労感謝の日。
内閣府のホームページによれば「勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう。」(『国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)』第2条)日とある。
各祝日の経緯を述べるページでは、勤労感謝の日が以前は新嘗祭の日であったことにも一応触れてはいるが「いにしえからの収穫感謝の風習を生かしつつ、感謝の日として新たに設けられたといえ」るとし、戦後改めて祝日が制定された際の報告書に、この「感謝」について「国民が毎日生活を続けていられるのは、お互いがお互いを助け合っているからである。従って、ここにいう感謝というのは、すべての人がすべての生産とすべての働きとに感謝し合うのでなければならない。この感謝の心もちは、今日のような世相のけわしい時には最も必要なものであるが、世の中が落ち着いた時にも常に大切なものである」と説明されている、としている。
ふーん。
「すべての生産とすべての働きとに感謝し合う」のは当然だとして、わたしから見れば、もともとの新嘗祭の意義や様式などを抜きにしてこの日を語ることはできないと思う。
新嘗祭は言わずとしれた皇室の儀式で、天皇がその年の収穫物を神に供え一年の恵みに感謝するものだ。農業を長らく国の産業の基本としてきた日本では、生産と民の暮らしは気象条件や環境に大きく左右されてきた。民を代表する形で天皇が天に感謝をささげるのは理にかなっていると考える。
百歩譲って天皇(皇室)の儀式から離れるとしても、「互いに感謝する」という面だけでは不十分で、神(人間を超越した存在)に感謝する精神性、考え方は重要だと思う。人間がコントロールできない条件のほうが、はるかに多いのだから。
ちょっと大上段に構えてしまった。
母ミヨ子たちが現役で働き暮らしていた昭和の鹿児島の農村では、もともと新嘗祭だったこの日に「田の神講」を行っていた。田の神講については「百五十六(行事食にサツマイモ)」でふれており、注釈部分にこう書いた。
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〈113〉田の神講(鹿児島弁で「たのかんこ」):本来は天皇が五穀豊穣に感謝する新嘗祭に当たり、戦後は勤労感謝の日とされている11月23日の前後、その年の豊作を田の神様に感謝する祭り(講)として、鹿児島(南九州)の各地に伝わってきた。
地域ごとに(元々はおそらく集落単位で)田の畦などに石仏のような「田の神様(田のかんさあ)」を祀ってあり、「田の神講」が来ると、地域の住民が餅を搗いて神様にお供えする。足元に供える場合もあるが、餅を藁などで包んで背中に背負わせることが多い。住民は輪番で餅を搗くのではなく、各戸でそれぞれ搗いてお供えしていた。現在では地域の事情により変わってきていると思われる。
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「百五十六」の本文に書いたように、田の神講のときは餅を搗いて田の神様に供えるとともに、サツマイモを搗きこんだ餅も作って食べた。餅だけよりも甘くておいしかった。
今は田の神講の行事自体が以前ほど盛んではないと思うが、郷里の農村では有志の手で続けられていると聞く。定年後、実家の敷地などで畑仕事をするようになった兄が写真を送ってくれた。餅を包んだ藁を背負わされた田の神様は、昔と同じようににこやかでうれしそうだった。
《参考》国民の祝日について - 内閣府