文字を持たなかった昭和 帰省余話(2024秋 2) ふるさと再訪準備②

 帰省の折りに、介護施設入所中のミヨ子さん(母)を郷里へ連れて行くための準備のお話である。(より続く)

 気になったのは、ミヨ子さんがいまどういう状態なのかだ。車での外出は可能なのか、可能ならどのくらいの時間か、乗降はだいじょうぶか、外出先での食事は、外出できるような着衣や履物はあるのか、途中のトイレはどう対処したらよいのか―――などなど、挙げるとキリがない。

 わたしとしては、ほんとうのところは泊りがけで外出させてあげたかった。施設(グループホーム)としては外出も一時帰宅も可能で、もしかしたら温泉一泊もできるのではないかと期待もした。

 ただ、歩行が困難なミヨ子さんを浴場に連れていくとして、脱衣所までは車椅子を推していってあげられても、洗い場に移動させるのは現実的に無理だろうと考え直した。これまでほぼ年一回温泉一泊に連れて行ったのだが、去年は膝の痛みを訴えられて往生した経緯がある。車椅子が定着したいまの生活では、温泉は無理だろう。

 それでも、一泊してゆっくり語らいたいという気持ちはあったのだが、身体機能の衰えは「してあげたいこと」をどんどん奪っていく。

 お泊りは諦めた。でもできるだけ長い時間外の空気に触れさせてあげたい。せっかく長年暮らした場所まで行くのだから、実家の田んぼや畑――多くは人に貸しているか、荒れてしまっているが――をはじめ、ミヨ子さんにとって身近だったいろいろなところへ連れていってあげたい。亡くなって13年経つ「お父さん」(ミヨ子さんにとっての夫)の納骨堂があるお寺、それにミヨ子さんの両親が眠る墓地にも。

 ミヨ子さんがいる施設のある場所――息子のカズアキさん(兄)宅の近くでもある――から郷里までは有料道路を通っても30分以上かかる。往復の時間、きわめてゆっくりであろう車の乗降の時間なども考えると、午前中施設へ迎えに行って夕方お返しする、というのが妥当なようにわたしには思われた。

 ただ、そうなると「拘束」時間が長くなる。入所してからほとんど外出したことがないミヨ子さんが、長時間の移動や何回もの乗降に耐えられるのか、という懸念も同時に存在した。

 ないまぜの気持ちに決断を迫ったのは、外出について相談すべく施設に何回か問合せをしたときにわかった、とある情報だった。

 それは、入浴日である。(へ続く)


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