文字を持たなかった昭和 百六十三(冷たいおやつ――フルーチェ)
昭和40年代に、母ミヨ子が手作りしてくれた冷たいおやつ――ハウスのデザートミクス(素)で作ったプリン、「シャービック」、「ゼリエース」について書いてきた。
ハウスのデザートで忘れてはいけないのが「フルーチェ」だろう。牛乳と混ぜるだけで、果物(製品)に含まれる酸やペクチンなどの効果で、ヨーグルト状に柔らかく固まる。ほかの「素」が、お湯で溶かしたあと冷やしたり、冷凍庫で固めたりするのに比べ、圧倒的に手軽だ。
プリンミクスが発売されたのは昭和39(1964)年――1回目の東京オリンピックの年だ――、「シャービック」や「ゼリエース」はほどなくして続いたと思われる(この2商品の発売時期については、ハウスのホームページにも詳しい記載はない)。高度経済成長期三兄弟といったところか。いや、デザートだから三姉妹か。
冷蔵庫がミヨ子の家に「来て」冷たいおやつを家庭でも作れるようになった頃、子供たちはまだ小さかった。
ただ「フルーチェ」は違う。「フルーチェ」の発売は昭和51(1976)年、長男の和明は高校生、下の二三四は中学生になっていて、下校後ミヨ子が用意したおやつをおとなしく食べる年齢では、とうになくなっていた。
二三四は部活のバレーボールに打ち込む一方で、お菓子作りにも興味を持っていた。「フルーチェ」という新しいデザートは、作り方が簡単なうえ、本物(?)の果物も入っていて、初めてテレビのコマーシャルを見たとき二三四は軽い衝撃を受けた。
家で最初に「フルーチェ」を作ったのも、ミヨ子ではなく二三四だったと思う。どこで買ってきたのかは忘れたが、ボウルに規定の牛乳を入れ、そこに「フルーチェ」の封を切って注いでかきまぜると、たしかにコマーシャルどおりにとろりとしたヨーグルト状のものが出現した。味見すると、甘酸っぱいおいしさとは別に、いままで経験したことのない感じがあった。
ただ、家で牛乳を常備しているわけでなかったこともあり、「フルーチェ」熱はそう盛り上がらなかった。やはり部活のほうに時間とエネルギーを取られていたのだろう。