文字を持たなかった昭和303 スイカ栽培(12)植えつけ②
昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴ってきた。
このところは、昭和40年代初に始めたスイカ栽培について述べている。促成栽培のための「トンネル」設置など植えるまでの準備を何回にも分けて書いたあと、前回ようやくスイカの植えつけにたどりついた。
植えつけたあとは水をたっぷりやらなければならない――と、インターネット上のスイカ栽培解説はアドバイスしている。が、ミヨ子たちの当時のトンネルで、植えつけ後の水やりをどうしていたのだろうか。
植えつけ後に限らず適切な水やりは必須だと思うが、マルチを張って土の表面を覆ってしまった畝に水をやるのはどうしていたのだろう? 子供だった二三四(わたし)はスイカ畑での水やりの光景をまったく思い出せない。畝と畝の間の、通路を兼ねた溝は湿っぽく、場所によって苔が生えていた記憶もあるので、通路に適宜水を通すことで畝に水が回るようにしていたのだろうか?
そう言えば、購入後の苗は植える前水に浸してあった。苗の周囲の土に水をじゅうぶん含ませてあるから、植えつけ後の水やりに気を使わなくてよかった。――のかもしれない。
水やり問題は保留にしておくとして。
「植えつけ①」に、苗はカボチャの茎に接いたものを使った、と書いた。これは、丈夫な茎に接いだほうが育てやすいという理由もあるが、スイカは種から蒔くより苗を植えるほうが連作障害〈150〉が起きにくい、という理由もある。――らしいことを、これまたインターネット上の解説で知った。
二夫(つぎお。父)やミヨ子が日々どんなことをしているかについては、二三四も子供なりに知ってはいて手伝いもしていたが、その理由やメカニズムまで考えていなかった、ということだ。両親も子供、まして女の子に――と書くと昨今語弊がありそうだが――そこまで求めてもいなかったはずだ。
スイカの植えつけは春、少し暖かくなってから始めた。温暖な鹿児島であっても、遠隔地の市場――ターゲットは関西だった――で先行するための促成栽培である。春休みの頃が植えつけのピークだったように思う。そこからは、やはり本格化するほかの農作業も並行し、繁忙期へ入っていくのだ。
〈150〉同じ種類の作物を毎年同じ場所に植え続けた場合、病害虫の被害を大きく受けたり収穫量が減っていくなどの現象が発生すること。
《主な参考》
スイカの栽培方法・育て方のコツ | やまむファーム (ymmfarm.com)