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文字を持たなかった昭和 百十五(不祝儀菓子)


 「今日のミヨ子さん(おみやげ)」で、鹿児島の郷土菓子であるかるかんは竿ものの蒸し菓子であることについて触れていて思い出した。

 母ミヨ子が子育て真っ最中であった昭和40~50年代、お葬式のとき弔問のお返しにはお菓子をいただくことが多かった。菓子折りはB5サイズ、深さ7~8センチの紙の箱で、ふたを開けると、サイズを揃えて作り上げ、厚さも2センチ程度に揃えて切った蒸し菓子などが、斜めに並べられていた。

 必ず入っているのは、真っ白いかるかん(生地だけのもの)、小豆あんが混ざった「高麗餅」〈97〉や「煎粉餅」〈98〉、羊羹、羊羹の一種の木目羹。木目羹は「もくめかん」と呼ばず「きもくかん」と呼んでいた。ちょっと高級なお返しをするお宅の場合、カステラを入れることもあった。どれもわりあい重いので、お葬式でもらうお菓子の箱は持ち重りがした。

 祝い菓子も不祝儀菓子も、町に2軒ある和菓子屋さんのどちらかに注文して調達した。できあがりも詰め方もほぼ同じなのだが味は微妙に違っていた。

 いただいてきた菓子折りはまずお仏壇に供えて、ご先祖に訃報の報告をした。半日から1日お供えしたあと菓子折りを下げ、足が速そうな菓子からお茶請けとして切り分けていただいた。失礼に当たらないお客さんなら、まるまる1枚包んでお土産にすることもあった。

 おやつの当てにしていたカステラがお客さんのお土産になってしまうと、子供たちはがっかりしたものだった。

〈97〉朝鮮半島の「高麗」に起源を持つ蒸し菓子。鹿児島弁で「これもっ」と呼んでいた。もっと縮めて「高麗」部分だけの「これ」と呼ぶこともあった。《参考》御菓子司 明石屋>高麗餅
※写真もこちらからお借りしました。
〈98〉もち米を煎った粉を使った蒸し菓子。鹿児島弁で「いこもっ」と呼んでいた。《参考》御菓子司 明石屋>煎粉餅

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