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文字を持たなかった昭和 二百三十四(新米)

  昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の昭和中期の暮らしぶりを書いている。農家の主婦だったこともあり食べ物の話題が多い。昨日新米を食べていてまたひとつ思い出した。

 稲作については田植えから田の草取り稲刈までひととおり書いた。収穫した米は自家用と来年の種籾を残して基本的に農協へ出荷した。例年、新米が穫れる頃でも去年の米がまだあったが、ひとつの区切りのつもりか、二夫(父)は農協の精米所で新米を少しだけ精米してきた。

 ミヨ子が嫁いだ昭和29(1954)年頃からしばらくは竈にかけた羽釜で、ガスが普及してからはガス炊飯器で、やがて電気炊飯器、その後炊飯ジャーと、ご飯を炊く手段と道具は変遷していくが、水加減、ことに新米のそれにはルールがあった。

 新米は水分が多いこと、お米を研いだあとの水加減は必ず控えめにすること、をミヨ子は下の子の二三四(わたし)に毎年語って聞かせた。二三四は幼稚園に上がる前からままごとの延長の気分で台所仕事の真似をしていたから、新米の水加減を控えめにすべきことは知っていたが、水加減を微妙に変えるミヨ子の手元を、毎回真剣に見た。

 ミヨ子の水加減で炊いても、火加減か釜のせいか、新米のごはんはたまに柔らかめのことがあった。それでも新米らしい香りの高さと甘さは独特で、家族みんなで喜んでいただいた。

 おかげで二三四は、大人になり自分で米を買って食べるようになっても、米の生産時期と精米時期はしっかりチェックするようになった。12月はじめのこの時期、新米はもう十分に出回っているが、今年は昨日初めて新米を食べた。いちばん近いスーパーでいちばん手頃な価格だった千葉産のコシヒカリだ。しっかり水加減して炊いたご飯は計算どおりふっくら炊きあがった。みずみずしく、甘く、香りがよく、新米であることを誇っている味だった。

「新か米は、水ょへがめて炊かんとね(にかこめは、みじょ へがめてたかんとね)」*

 何年経っても、新米の水加減をするとき、二三四の耳にはミヨ子の声が聞こえる。野良から急いで帰り、姉さん被りの手拭い姿で流し台で米を研いでいた姿も浮かぶ。

*鹿児島弁:新米は水を少な目にして炊かなければいけないよ。
 「水ょ(みじょ)」は「みず」に続く助詞「を」を縮めて拗音化したもの。鹿児島弁には前後の単語が結合して促音化、拗音化するパターンが多い。「へがむっ」は「減らす」意味の動詞。動詞の基本形としては「へがめる」としてもいいのかもしれないが、語尾は「ら」行で活用しないので、「へがむっ」が正しいように思う。

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