ひとやすみ 俳句鑑賞――父の胸の内

    入学の子と学食のAランチ (※)

 子の入学式に列席したあと構内をともに歩き、学食で昼食をとったのだろう。父と息子か娘か、選んだのは二人ともAランチ。作者は自身の大学入学の日をも重ねていただろう。話がはずんだのか、言葉少なだったのか。

 30年以上前大学に進学したわたしの入学式には、頼んだわけでもないのに父が県外まで出向いて出席した。小中学校ならともかく、入学式や卒業式に保護者が出席する習慣は、大学はもちろん高校でも当時はなかったと思う。

 正直なところ「なんでわざわざ?」という思いだったが、断るわけにもいかず、尊大が言い方だが好きにしてもらった。自分も入試以来初めて足を踏み入れる構内を、どんな思いで歩いたか思い出せない。まして父とどんな会話をしたのかも。

 入学式での学長祝辞。わたしもそれなりに真剣に聞いてはいたが、強く印象に残ったわけではないその内容を、父は学長の名前つきでよく覚えていて、後年も折りあるごとに語っていた。
「やはり最高学府の入学式は違うと思ったねぇ」
という感嘆とともに。

 昭和3年生まれで農家の跡取りと決まっていた父は〈149〉、戦後の食料不足に巻き込まれるように、学業を途中で放棄して家の仕事の中心を担い始め、それは亡くなるまで続いた。地域での役割を含め、渡辺和子の表現を借りれば「置かれた場所で咲き続けた」人生だった――のかもしれない。

 父は頭のいい人で、歴史や地理、社会情勢などにも興味を持っていたが、農作業に追われ本を常に読む時間的余裕や、本をたくさん買う経済的余裕はない生活だった。ほんとうはもっと勉強したかったのかもしれない。農家の一人息子でなければ、戦争がなければ――。

 ifはありえない歴史の中で、ひとりひとりも生きるしかない。学長祝辞を折あるごとに反芻していた父の胸の内も、慮るしかない。

(※)東大阪市 末吉利次 「産経俳壇」4/20掲載
〈149〉父の生涯もいずれnoteに詳しく書くつもりでいる。

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