文字を持たなかった昭和346 梅の実のある風景(7)梅酒②
昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴っている。
最近では、保存食品として毎年手作りしていた梅干しをテーマに書いた(「梅干し(1)梅の木~(11)保存、おまけ」)。ついでに梅の実にまつわるエピソードをしばらく綴ることにして、日の丸弁当、砂糖梅、梅干しの食べ方、梅干しの「仁」とそれにまつわる思い出、そして梅酒作りと続けている。
その、梅酒の続き。
庭で採れた梅の実、ザラメか白砂糖、芋焼酎で仕込んだ梅酒の瓶――たいていは海苔の空き瓶――は、きっちり封をされて台所の暗がりに置かれた。
インターネット上の梅酒のレシピでは、半年くらい経った頃に梅の実を取り出す、と書かれているものが多いが、ミヨ子たちは途中で梅の実を取り出すようなことはしなかった。梅のエキスがじわじわと、そして完全に溶け出すのを気長に待った。
というより、日々の農作業や家事、何種類もある保存食品の管理、そして近所や親戚とのつきあいに忙しくて、仕込んだ梅酒の様子を楽しみに眺めるような余裕はなかった。それに、そもそもミヨ子はお酒を飲まなかった。
梅酒の瓶はずっと同じ場所にあるとは限らない。棚のようなところへ仕舞いこまれるわけではないので、季節の行事のために何かを取り出したり動かしたり、大掃除したりするときに瓶も移動する。そんなときに色を見て「今年の梅酒はまだこんな色だねぇ」とか「もう飲めそうだね」といったやりとりがあった。
十分に梅エキスが出てから梅酒は開封される。味見をするのは姑のハル(祖母)が多かった。甘みが足りないと、そこからまた少しザラメを足したりもした。
梅の実はこの時点で引き上げることもあったし、引き続き漬けておくこともあった。玉杓子で掬い上げた梅の実は、そのままお茶請けにされた。液体だけになった梅酒は、きれいに洗って乾かした漏斗で一升瓶に移されて、引き続き寝かされ、ときに「起こされた」。
家族で梅酒を飲むのは、夏の夜が多かった。家に「来て」まだ何年も経っていない冷蔵庫「」で作った氷を、めいめいのグラスにひとつかふたつ入れ、梅酒を少し入れてから水を注ぐ。梅酒の水割りだ。
「冷たい梅酒はいいものだね。氷が入ってるとさらにうまい」
夫の二夫(つぎお。父)は相好を崩した。