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文字を持たなかった昭和 帰省余話9~白梅

 昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)を中心に庶民の暮らしぶりを書いてきた。

 このことろは、そのミヨ子さんに会うべく先ごろ帰省した折りのできごとなどを「帰省余話」として書いている。前の3回は、帰省の大事な目的だった法事――ミヨ子さんの夫・二夫(つぎお)さんの十三回忌――について書いた(6~十三回忌7~お数珠8~お斎(とき))。

 お斎のあと、とっくに建屋を撤去した実家跡にみんなで赴いた。二夫さんが亡くなったあとミヨ子さんが一人で住んで数年。ある年、大型台風に備えて和明さん(兄)宅に緊急避難したところ、もともと傷んでいた屋根が台風で破れ、雨漏りがひどくなったため帰れなくなった建屋である。数日分の着替えだけ持って避難したミヨ子さんは、帰る家を永遠になくしてしまった。

 建屋跡はしばらく放置してあったため、ひところは草ぼうぼう、このまま籔から林になるのでは、と思われた。それもやむを得まい、と二三四(わたし)は覚悟していたが、和明さんは何を思ったか、屋敷跡に果樹を植えると言いだした。それに続く形で、敷地にあった畑を改めて耕し、数年かけて少しずつ作物を増やしている。いまや週末農園の赴きだ。何はともあれ、籔になりかけていた実家跡が活かされていることは喜ばしい。

 敷地に入ったとき目に飛び込んできたのは、庭の奥、真っ白に咲いた梅だった。

 そう。12年前の2月、二夫さんの訃報を聞いて駆け付けた実家の庭には、同じように白梅が満開になっていた。いまはもうならしてしまった庭の、縁石に沿うように水仙もたくさん咲いていた。梅と水仙の香りが送った野辺。悲しく、美しい情景だった。

 庭の梅手折り棺に納めたり

 二夫さんが亡くなった直後に詠んだ一句である。あの日と同じように咲く白梅。あなたは何を見てきたのだろう。


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