文字を持たなかった昭和 二百四十(正月支度――新しい衣類、続き)
昭和中期の鹿児島の農村、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)たちの正月支度のひとつとして、町内の洋品店から衣類を買っていたことを書いた。
もっとも、衣類の購入はこの「伊勢屋」さんだけとは限らなかった。隣り町にいちおう「百貨店」と名のつく大規模商店があり、ここで買うこともあったのだ。
隣り町には県内でも有名な温泉「湯之元温泉」があり、温泉街を中心に商店街が整備され、子供の目からはとても大きな街に見えた。子供に限らず当時ミヨ子たちが住んでいた地域をはじめ、周辺の住民たちから見ても、この温泉街はとても活気があった。二三四(わたし)が物心ついた頃は、「湯之元」へ行くのは心躍る特別な体験だった。
ミヨ子は若い頃の紡績工場勤めで患った結核を、湯之元にあるY先生の病院で治したこともあり、ミヨ子にとっては馴染みと愛着のある街でもあった。
ミヨ子や、夫の二夫(つぎお)はわざわざ温泉に行くことはほとんどなかったが――そんな時間的、経済的余裕はなかったし、何よりまだ自家用車もない頃は足も不自由だった――、湯之元での何かの用事のついでに、住んでいる集落の小さな商店では売っていないような品物を買うことはあった。
衣類もそのひとつだった。
湯之元の百貨店「みやうち」は2階建てで(内部は3階かもしれない)、現在ならちょっと大きい地場スーパー程度だが、当時は珍しい鉄筋コンクリート造のしゃれたデザインの建物で、何より百貨店と銘打つだけあって、何でも売っていた。少なくとも二三四はもちろん、ミヨ子にもそう思えた。その「みやうち」で衣類に限らず何かを買うのは家族全員にとっても特別なことだった。
二三四は幼稚園に上がるか上がらないかの頃買ってもらった、ポンチョのような赤いコートがお気に入りで、大切に長く着た。