文字を持たなかった昭和 続・帰省余話13~姉妹の再会
昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴ってきた。
あらたに、先だっての帰省の際のあれこれをテーマとすることにして、印象に残ったことのまとめに続きいくつかエピソードを書いた。次にミヨ子さんを連れてのお出かけを順に振り返っている。お出かけの準備をし、外でランチしてから桜島を臨むホテルにチェックイン。温泉が引かれた大浴場を
下見したあと、ミヨ子さんをお風呂に入れてあげるという最重要ミッションを果たし、二三四(わたし)もほっとした。
車椅子を推して客室に戻ると、もう一人の連れがソファでくつろいでいた。ミヨ子さんのいちばん下の妹、二三四にとって叔母であるすみちゃんだ。
すみちゃんはミヨ子さんより20歳も年下だ。若くして県内の離島に嫁ぎ、二人の子供を育て上げ島外へ送り出した。だんなさんは数年前に他界して一人暮し、島の縫製工場でいまも働いている。
この機会にすみちゃんもいっしょに泊まる段取りを二三四がつけたことは「最近のミヨ子さん(ビデオ通話④)」でも触れたとおりだ。島から船でかけつけ、ついでに鹿児島市内での用事をすませてからチェックインするので、到着時間はわからないと聞いていた。
「すみちゃん、着いてたの?! 温泉に来てくれればよかったのに! ご飯まで時間があるから行って来れば?」
と二三四。でもすみちゃんは
「いや、もう部屋のお風呂に入った」。
離島から早朝に出てきて疲れてるからだろうと二三四は思ったが、じつは別の理由があることはあとで判明する。
ミヨ子さんの車椅子をソファの脇に固定すると、すみちゃんが話しかけた。
「私は誰でしょう?」
「すみちゃん!」
この問いかけ、二三四はちょっとだけ心配したが、ミヨ子さんの口からはすんなり「正解」が出てきた。
「姉ちゃん、元気そうだね……」
年の離れた姉妹、すみちゃんに言わせたら母代わりの関係、会うのも10年ぶりくらい。でも会えないでいた長い時間を感じさせない、まったく「ふつう」の会話が繰り広げられた。話題が「昔のこと」寄りであることを除けば。
窓の外では、傾き始めた太陽を浴びる桜島が、山肌の色を少しずつ変えていく。
「はら、姉ちゃん、桜島が赤(あ)こなってきたが」(あら、姉ちゃん、桜島が赤くなってきたよ)
「どこー? はら、ほんなこて」(あら、ほんとうに)
二人は郷里のことばでしゃべり続ける。同じ鹿児島弁でも地域によって違う。武士や商人の町から都市化した鹿児島市内と農村部は違うし、同じ地域でも年代差もあれば時代によって変りもする。
ふいにミヨ子さんが、小学校の修学旅行――だったらしいバス旅行で、桜島に行ったことを語り出す。ミすみちゃんはだいぶ島の訛りになってはいるが、郷里で話していたころの鹿児島弁が残っていて、ミヨ子さんの脳内がかなりタイムワープしたようだ。
二人が次に会えるのはいつか、二人とも元気なうちに会えるのかもわからない。お互い近況を承知していな二人の会話に、ときどき補足を入れてやりつつ、二三四はまたもや「この機会を作ってよかった」としみじみ思うのだった。
※前回の帰省については「帰省余話」1~27。
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