文字を持たなかった昭和314 スイカ栽培(23)収穫に向けて
昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴ってきた。
このところは昭和40年代初に始めたスイカ栽培について述べている。苗を植え、受粉させ、大きくしたい実以外は摘み取り、実が色よく均一に大きくなるよう向きを調整してやる。
もちろんビニールシートのトンネルの開け閉めが、朝晩続く。記憶が曖昧なので(22)までには触れていないが、農薬も多少は散布したと思う。
植えつけから手入れを続けることひと月半くらい――南国での促成栽培なのでもう少し短かったのかもしれない――、子供たちが夏休みを意識し始めるころには収穫が見えてきた。
スイカは品種によって大玉と小玉があるが、ミヨ子や二夫(つぎお。父)たちがスイカを作っていた頃は、冷蔵庫に入りやすいよう、消費者が持ち帰りやすいよう、といった発想はまだなく、立派な大玉の品種が喜ばれていた。というより、スイカとはそういうものだった、ということだろう。
これまたスイカ栽培の解説を読むまで知らなかったが、スイカの収穫は大きさではなく中の状態で判断するらしい。しかし、大きいほうが喜ばれるとあっては、収穫もできるだけ実を大きくしてから、という判断になりがちだった。
とは言え、大きくても中が割れているのでは商品価値が下がってしまう。できるだけ大きく育てながらも、割った時の見た目もよく、味もおいしい状態で出荷できるよう、二夫たちははずいぶん気を配っていたはずだ。
不勉強で知らなかったが、スイカは環境の変化に敏感な作物らしい。気温や土壌の水分量の急激な変化、肥料の効きすぎは、往々にして実の割れを招いてしまうようだ。二三四(わたし)は、外側まで割れてしまった実を見た記憶はほとんどないから、そのあたりも両親はていねいに世話をしていたのだと思う。
《「スイカ栽培」項の主な参考》
スイカの栽培方法・育て方のコツ | やまむファーム (ymmfarm.com)