文字を持たなかった昭和 百七十三(敬老の日――県知事からのお祝い)
昭和40~50年代、母ミヨ子たちの敬老の日の過ごし方について書いた。とりたててお祝いなどはしなかった、というものだが。
ただし、舅の吉太郎(わたしの祖父)が90歳を迎えた年(昭和43年)の敬老の日には、特別なお祝いが届いた。これは、例年のように町長さんからではなく、県知事からだった(もちろん直接届けけられたのではなく、役場経由で)。贈り物は、当時としては珍しい電気毛布だった。「長年働いたお体を労わってください」ということだろう。
毛布だけあってかなり大きな箱に、これまた大きな「のし」が貼られており、「のし」には県知事の名前が黒々と記されていた。
「県知事からお祝いをもらった」
と、息子の二夫(つぎお。ミヨ子の夫)はじめ家族全員が誇らしい気持ちになったものだ。
いまでなら100歳の節目ぐらいには特別なお祝いが届くのかもしれないが、当時の卒寿がいかに珍しかったかがわかる。
もっとも、吉太郎はこの貴重な贈り物をあまり喜ばなかった。
「電気が流れる毛布なんて、気味が悪い」
と言ってほとんど使わなかった。
電気毛布は、吉太郎の死後姑のハルがたまに使い、ハルの死後はもっぱらミヨ子が使っていた。ミヨ子は、二夫が先に亡くなり、数年ひとり暮らしをしたあと、長男である和明一家に引き取られるまで電気毛布を使い続けた。
電気毛布こそかなりの「長寿」だった。
〈117〉明治前半生まれの吉太郎やハルの世代は(当然それ以前も)、年齢はすべて「数え」で数えていた。「数え」は生まれたときにすでに1歳で、以後は旧暦の正月がくるごとにひとつずつ年をとる。つまり誕生日は戸籍記載以外現実的な意味をなさなかった。ちなみに生まれたときに1歳というのは、お母さんのおなかにいる時点で一人前と考えた、という解釈がある。