文字を持たなかった昭和 帰省余話(2024秋 19) カライモ(さつまいも)をもらう
昭和5(1930)年生まれで介護施設入所中のミヨ子さん(母)の様子を見に帰省し、郷里へ連れて行ったお話である。入所後初めて施設(グループホーム)で再会し、車椅子も車に積んでふるさとへ。食堂到着が予定より遅れ昼食は順番待ちになった。ミヨ子さんのトイレを介助したあとやっと食事が始まったが、ミヨ子さんが食べる速さは格段に落ちており、時間が押してきた。食後、今回ぜひ連れて行きたかった菩提寺のお墓(納骨堂)に向かうも、車から降ろしてお参りしてもらう余裕はなかった。
家があった場所、そしてミヨ子さんの両親が眠るもう一か所のお墓へも行くつもりのわたしは焦るが、ツレが言い出した。
「Tさんとこに寄ってみたら? 車の中からご挨拶だけすればいいんじゃない?」
Tさんはミヨ子さんの夫・二夫さん(つぎお。父)の従弟に当たる。Tさんの生家はわが家の目と鼻の先だった。たくさんのきょうだいのいちばん下であるTさんは、わたしたちきょうだいにとってお兄さんのような存在で、いまも親しく行き来している。以前の帰省でも、ミヨ子さんを連れてTさんのお宅にお邪魔しお茶をいただいたことが何回かあって、ツレもいっしょだった。
アポなしで立ち寄っても失礼でない間柄だし「ちょっと寄ってみました」ぐらいのご挨拶ですませられる。時間がさらに押すことは気になったが、おそらくもう外出はできないであろうミヨ子さんを、この親しい親戚に会わせてあげられることの方に、わたしの心は傾いた。
「お母さん、T兄さんのお家にちょっと寄ってみるね」
Tさん宅は地元の駅前にある。わたしは停めた車から玄関チャイムに走り寄った。チャイムの音にTさんの奥さんが口元を押さえながら出てきた。
「ごめんなさい、いま豪華ランチ中で。なんだと思う?――カライモ(さつまいも)」
と笑う。Tさんは外出中で、一人で簡単なお昼をとっていたようだ。
「お母さんも一緒なんでちょっと寄ってみた」とわたしは言い、車の中のミヨ子さんを指す。奥さんはさばさばした、しかし温かみのある鹿児島弁を交えながら「おばさん、お元気でしたか」「よかったですね、外出できて」などと語り掛けてくれ、ミヨ子さんはニコニコしながら受け答えしている。わたしは内心「この人が誰かちゃんとわかってるのかな」と思ったが、会話は滞りなく展開している。
数分後「施設に連れて帰らないといけないから。T兄さんによろしく伝えてください」とわたしが先を急ぐと、奥さんは急いで屋内に戻り、「ひとつだけど持って行って、おばさんに食べてもらって」と、ビニール袋に入ったまだ温かいふかしイモを持たせてくれた。Tさんは近くで畑を借りて家庭菜園をしており、このさつまいもも「自家製」なのだった。
ミヨ子さんはもう会えないかもしれない。Tさんにも、奥さんにも。わたしは胸が締め付けられそうだ。
車は再び走り出す。ミヨ子さんにもわたし自身にも懐かしい景色の中、助手席のミヨ子さんにいちいち「いま〇〇の辺りだよ」「あそこには〇〇があったよね」などと後部座席から語り掛けるうちに、ミヨ子さんが60年以上過ごした家――の跡に着いた。