最近のミヨ子さん まだ入院中

 鹿児島の農村で昭和5(1930)年に生まれたミヨ子さん(母)の来し方を中心に庶民の暮らしぶりを綴ったあと、明治生まれのミヨ子さんの舅・吉太郎さん(祖父)の物語に移った。ミヨ子さんの近況を挟んだりして明治の物語は進まないが、またミヨ子さんの近況をメモ代わりに書いておく。

 息子のカズアキさん(兄)家族と10年ほど同居していたミヨ子さんは、昨(2024)年6月末に施設(グループホーム)に入所した。わたしが秋に帰省した際は外出してふるさとへ連れて行ってあげたりできたが、年末近くに体調を崩した。鹿児島市立病院へ緊急搬送されそのまま年越しになったことについては、直近の「最近のミヨ子さん」で述べている(体調異変体調異変、その後脱水症状退院の先には?)。

 市立病院は状態が落ち着いて転院するまでのいわば「つなぎ」だ。年末時点でだいぶ回復したと聞いていたので(回復基調)、そろそろ退院も見えてきたのではないか。

 と、正月休みの間ずっと思いながら、催促するようでカズアキさんたちには連絡できないでいたがそろそろ1月も中旬。入院前にいた施設は退所するとも聞いていたが、そのあたりも気になるので、お嫁さん(義姉)に連絡をとってみた。

 お嫁さんの返事はこんな内容だった。
・転院先として予定している自宅から近い病院が満床で、まだ退院できない。
・ミヨ子さん自身は、看護師さんが食べさせて食事を取っているような状態。
・施設は年内に退所した。手続というほどのものはなく、電話一本で終了。使っていたものも年末に引き取った。

 箇条書きにしてしまうと簡単だが、入院とその後のケア――連絡をとった当日も、お嫁さんは病院から言われておむつパッドを持って行ったそうだ――、施設退所と、身近な家族はやることが多かっただろうし、今後も続くだろう。ありがたいことだ。

 一方で、わたしはミヨ子さんの心持ちを思い、胸が痛くなる。病院では、検温など日々の状態確認や三度の食事と、看護師さんが必要十分なケアをしてくれているだろう。もちろんおむつも交換してくれるだろう。しかし、ミヨ子さん自身はどう感じているのだろうか。

 お正月を病院のベッドで迎えたことは理解しているのだろうか。もしそうだとしたら「お正月なのに(家族は)誰も来ないねぇ」ぐらい思っているのか。それとも、年末だのお正月だのといったいわば外部の都合は、もうピンと来ていないのだろうか。

 わたしが少しだけ救いを感じるのは、いま入院している市立病院では、看護師さんが患者さんの下の名前を呼ぶ(らしい)ことだ。前回、夏に入院したときもそうだったし、今回入院するときも、検査を待っているときに看護師さんが「ミヨ子さん」と呼んでくれ、ミヨ子さんも「はい」と返事する様子が、お嫁さんから送られた動画に映っていた。自分が自分であること、一人の独立した人間として扱ってもらえることは、生きるちからになると思う。

 そんな看護師さんたちにお世話されながら、ミヨ子さんには少しでも体力と気力を取り戻してほしい。

いいなと思ったら応援しよう!