文字を持たなかった昭和 百六十二(冷たいおやつ――ゼリエース)
昭和40年代、母ミヨ子がうちに「来た」ばかりの冷蔵庫で作ってくれた冷たいおやつについて書いている。ハウスのデザートの「素」で作るプリン、「シャービック」とくれば、「ゼリエース」も外せない。
「ゼリエース」はその名のとおり、ゼリーミクス(素)である。これをお湯で溶いて容器に入れ、冷蔵庫で冷やし固めるのだ。作り方で言えば、プリンや「シャービック」より簡単だし早くできる。
だが、ミヨ子が作った回数はプリンや「シャービック」にはるかに及ばない。ひとつは、「ゼリエース」が後発というか、近所の食料品店などで売られるようになったのが、プリンや「シャービック」の後だったこと。
もうひとつは、ゼリーそのものがプリンや「シャービック」ほどの新鮮味に欠けたこと。プリンや「シャービック」のようなお菓子はそれまで身の回りになかったが、ゼリーに似たものとしては、蜜豆(の缶詰)に入っている寒天や、寒天を使った羊羹という不動の大先輩がいた。
そして、やさしい味のゼリーは、子供たちにとって物足りなかったことも大きい。当時のお菓子はしっかりした甘味があるのが当たり前で、とくに鹿児島はそうだった(いまでも鹿児島は、料理もお菓子も甘みが強い)。手作りのお菓子もしっかり砂糖を効かせたし、市販のお菓子に至っては人工甘味料、人口着色料がどっさり入っていた(いまの「ゼリエース」は無果汁のようだが、当時も当然無果汁だっただろう)。
ミヨ子の横にくっついておやつを作る様子やできあがりまでを、それこそ何回も冷蔵庫のドアを開閉しながら観察していた二三四にとっては、「ゼリエース」が箱(パッケージ)の写真にあるような、きれいな形に固まらないのも不満だった。ゼリー型はミヨ子がどこかから買ってきてあったが、大きさの問題か、「斜面」の角度の問題か、どうにも横に広がってしまうのだ。
そういうことが続くと、もともとはっきり「おいしい!」と思えない「ゼリエース」は、作ってほしいおやつの中で順位を後退させていった。
《参考》ハウスのデザート