文字を持たなかった昭和 五十四(行楽弁当―煮しめ)
お花見に限らず、行楽弁当につきものだったのが「煮しめ」だった。ミヨ子の嫁ぎ先ばかりでなく、近隣のどの家もほぼ同じだった。
お弁当といえば条件反射的に卵焼きが思い浮かぶが、昭和30年代、卵はまだまだ高価だった。近隣は農家が多く、庭で鶏を飼う家もあったし、ミヨ子たちも飼ったことがあるが、産卵用に飼っているわけではない鶏はそうそう頻繁に卵を産んでくれなかった。市販の肉やその加工品が日常の食生活に入ってくるのは、もう少し先だ。
ほぼ自給自足でまかなえる食材でお弁当を作ろうとすると、ほとんどは野菜とその保存食品になる。あとはせいぜい豆製品、そして昆布などの乾物が加わる程度。これらの食材で作れて重箱に詰めて持って行ける料理となると、必然煮しめになるのだ。干しておいたフキやタケノコ、昆布などの乾物を戻すのは時間がかかるが、鍋ひとつで煮込めばいい。多めに作っておけば、お弁当以外のおかずにもなる。おそらくそれが理由で、花見などの行楽以外でも、何かというと煮しめを作った。
煮しめの材料は、ある程度煮込んでも形が崩れないものなら何でもよかったが、ミヨ子が作る煮しめには、ニンジン、フキ、干しタケノコ、切り干し大根、結び昆布などが入った。カボチャやジャガイモなど季節の野菜を入れることもあった。出汁をわざわざ取ったりはせず、素材から出てくる旨味にまかせた。ただ、野菜や昆布だけでは物足りないので、ボリュームとコクを出すために厚揚げはよく入れた。
味付けはシンプルで、砂糖と醤油、塩だけ。醤油は煮物用の淡口醤油を使うことが多かった。料理酒を使う習慣はなかった。そもそも鹿児島では清酒そのものが身近ではない。みりんのように甘い料理用の「地酒」が売ってはいたが、ふだん使いにすることはなかった。煮しめに限らず、ほとんどの料理の調味料は、この3種類と味噌、酢程度で事足りた。
できあがった煮しめは大鍋に入れたまま味をなじませる。高価ではないが塗りの重箱に詰めるのに、熱々のものは入れられないという理由もあった。詰める時間から逆算して乾物を戻すところから始めるのだから、料理には時間はかかった。そもそもガスではなく竈で薪を焚いて調理するので、火加減を見るのも手間だった。
それでも重箱にあれこれ詰めて出かけるお花見の楽しさは格別だった。