ひとやすみ ヘバーデン結節
昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴っている。
直近は「介護」をテーマに、ミヨ子が嫁として舅・姑をお世話していた様子を述べてきたが、このテーマはなかなか心理的負担が大きい。ここらで気分転換を兼ねてまったく違うことを書いてみたい。
「ヘバーデン結節」という病気(症状)がある。指の、多くは第一関節が膨らんで外側に曲る変形性関節症だ。加齢により、ことに力仕事をしてきた方の指が「節くれだって」いるのを目にする機会もあると思うが、「節くれ」の一部はこの関節症かもしれない。女性に多く、70代では3割に症状が見られるというデータもある。
外傷につづいて発症する場合もあるが、長年手仕事に従事していた人に見られることが多いそうで、家事労働で先を使い続けてきた高齢女性に多いのも頷ける。
わたしも左手中指の第一関節が変形している。50歳を過ぎた頃、なんとなくその部分の関節が痛むようになり「おかしいな」と思っているうちに、だんだん曲ってきたものだ。今はもう「節くれだった」状態に見えるが、両指でこの関節1カ所だけである。
この耳慣れない関節症について書いているのは、自分の指が母方の祖母・ハツノに似ていると思うからだ。
ハツノ自身についてもいずれ詳しく書きたいと思っているが、ミヨ子について書きはじめた頃の「四(誕生)」で触れたようにハツノは熊本からお嫁にきて、二男三女をもうけ〈176〉、87歳まで生きた。わたしは、同居していた父方のおばあちゃんよりこっちのおばあちゃんのほうに親しみがあって、母の実家が同じ集落にあったこともあり、頻繁に「遊びに行った」。
いまの感覚では、「鹿児島と熊本、同じ九州じゃん」だろうが、大正期、多くの人が自分の生まれ在所から出たことがないか、出ても近隣まで、あるいは伝手を頼って奉公や出稼ぎに赴く、といった時代である。そして鹿児島と熊本の方言は、まったく違う(というか、鹿児島弁が突出してユニークなのだ)。
嫁いで来てから、言葉の面も含めて苦労が多かったはずだが、ハツノは楽観的で、働き者で、料理上手で、話していて飽きなかった。台所仕事をするハツノの傍で、手順やコツを見たり聞いたりするのは、幼かったわたしの大きな楽しみでもあった。
そのハツノの指の第一関節のいくつかは膨れて曲っていた。わたしは「おばあさんだからこうなのだろう」と思っていたが、自分にその症状が現れ始めてから調べてみて、必ずしもすべての「おばあさん」がそうなるのではないと知った。じっさい、母の指はひどく節くれだってはいるが、関節が膨らんだりはしていない。一般に遺伝性も認められていないとされる。
ヘバーデン結節は痛みを伴うことがある。とくに、うっかりぶつけたりすると飛び上がるほど痛い。症状によっては手術が必要なこともあるらしい。見た目もよくない。関節が膨らみ始めたときは、悲しい気持ちにもなった。が、1カ所だけということもあり、とりあえずわたしは「このままでいこう」と思っている。
なにより、この関節には大好きだったおばあちゃんの魂(の一部)が宿っている気がするのだ。ハツノとわたしの外見は似ていなかった。年を重ねてもあまり似てこない。でも、ここにたしかにおばあちゃんはいる。毎日いっしょにいてくれる。そう思えること、そう思える思い出を作ってもらえたことは幸せだったと思う。
〈176〉「五(きょうだい)」で述べたとおり、幼くして亡くなったきょうだいもいた。
《参考》
へバーデン結節 | 日本臨床整形外科学会