文字を持たなかった昭和 帰省余話(2024秋 24)  お墓参り②

お墓参り①から続く)
「車椅子、下りのほうが大変じゃない?」
 両親(母方の祖父母)たちが眠るお墓へ行ったミヨ子さんと、ミヨ子さんの車椅子を推すわたしを追ってきたツレが言う。前項で述べたように、時間が押す中でのお墓参りにツレはあまり賛成していなかったが、意地になったわたしが強行したため心配になったのだろう。

 お墓参りは「一応」終わったが、ミヨ子さんがちゃんとお参りしてくれなかったため、最重要とも言えるミッションを達成したはずのわたしの心は晴れなかった。

 車椅子を二人で扱うわけにいかないので、車椅子を後ろ向きにして後退姿勢で下り坂を下がっていくのをツレに見ていてもらった。下りこそ怖かったがなんとか下りきり、わが家があった場所へ無事に戻れた。わたしは汗だくだ。

 時計は2時になろうとしている。ここからミヨ子さんの施設(グループホーム)までは有料道路を使って30分だろう。もう「帰ら」なければ。
この日、わたしはとにかく焦っていた、と思う。昼食と片道30分以上の移動時間も含め4時間半程度に収めなければならいのに、貴重な外出の機会ということでやってあげたいことがてんこ盛りだった。とくに、最後のお墓参りは。

 墓地でミヨ子さんはお参りしようとせず、むしろ反抗するような言動を見せた。ミヨ子さんの気持ちになって振り返れば、こんな感じだったのかもしれない。

――のんびり「わが家」の風景に浸っていたところ、突然(車椅子ごと)運び出され、ずんずんと坂の上のほうへ連れて行かれた。途中は木々が生い茂って暗く、枝や枯れ葉が落ちていて、いったいどこに行くのだろうと不安になった。一方で、自分を連れ歩いている人は、不機嫌そうだ。お墓参りだというが、誰のお墓だろう。だいたいこの人はなんで自分に命令するのだろう。――

 わたしは、「ばあちゃんたちのお墓へ行く」と言えば、ミヨ子さんはぼんやりとでも思い出せるだろうと思っていた。ミヨ子さんは通りなれているから思い出せるはずだとも。しかし、時系列の認識があやふやで、記憶にも濃淡が(ゼロすらも)あるミヨ子さんが、わたしの予想どおりに記憶をたどり、今は亡き両親やきょうだいたちの「お墓」を、こちら側の人間のように認識できるとは限らなかったのだ。

 何より、わたしの焦りやイライラは、ストレートにミヨ子さんに伝わっただろう。ただでさえ「どこに連れて行かれるのか」と不安に思っていただろうに、自分に付き添っている人は何やら怒っている。その時点で不安のほうが先立ち、付き添い者は娘だという認識は飛んでいたのだと思う。さぞや不安だったことだろう。

 端的に言えば、このお墓参りは失敗だった。少なくともわたしが胸の中で描いていた、ほんわかした郷愁の中での墓参の形にはならなかった。むしろミヨ子さんを傷つけたかもしれない。

 わたしは何をしようとしていたのだろう。ミヨ子さんのため、と思いながら、自分の気持ちを優先していたのではないか。結局「こっちの都合」で、老いたミヨ子さんを振り回したのではないか。

 などと考えたのはその日の夜以降で、施設へ無事送り届けるという最後のかつ最重要のミッションが控えており、わたしは相変わらず焦っていた。

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