文字を持たなかった昭和308 スイカ栽培(17)追肥
昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴ってきた。
このところは、昭和40年代初に始めたスイカ栽培について述べている。栽培の動機に始まり、苗から伸びてきた蔓を整え、花が咲いたら人工授粉。そして小さい実をつけるところまで書いた。
実が鶏卵大になったところで、「追肥」をするのが基本らしい。
(4)畑を「ほたる」で書いたが、畑の土づくりの際に施す「元肥」は、スイカの場合少な目にするのとも関連する。
なんでもスイカは養分の吸収力が強く、実をつけるまでに肥料をたくさん与えてしまうと、蔓のほうが旺盛になってしまい(つるぼけ)、花や実がつかなくなってしまうのだとか。実が鶏卵くらいになれば、大きくならないまま蔓から落ちてしまう、ということもないようだ。
しかし追肥と言われても、子供だった二三四(わたし)はその意味をなんとなく理解はできても、具体的に何をどう与えるのかはまったくイメージできなかったし、いまもできない。栽培の解説でも「根元の周りに追肥する」とあるだけだ。
納屋の薄暗い隅に立てかけてあったチッソの袋に入っていた、窒素肥料を蒔いたのだろうか。仁丹くらいの大きさの白い粒が思い出される。ミヨ子が袋から肥料をシャベルなどで掬って別の容器に入れていた姿も。だがそれがいつで、スイカのためだったのかはわからない。
両親の働きについてぼんやりとしか見ていなかったのだと、またしても思い知らされる。
《「スイカ栽培」項の主な参考》
スイカの栽培方法・育て方のコツ | やまむファーム (ymmfarm.com)