文字を持たなかった昭和 帰省余話22~伝言
昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴っている。
ここしばらくは、そのミヨ子さんに会うべく先月帰省した折りのできごと――法要、郷里のホテルに1泊しての温泉入浴、なんでもおいしく食べる様子、昔の写真をミヨ子さんに見せたときのことなど――を「帰省余話」として書いてきた。
10日余りとたっぷりとった帰省期間を終える前日、鹿児島市の中心部に住む姪夫婦もやってきて賑やかな夕餉を囲んだ。ミヨ子さんの健啖ぶりは相変わらずで、ミヨ子さんと同年代の祖母をごく最近亡くしたばかりの姪のだんなさんも
「うちのおばあちゃんは、体が弱ってからどんどん食べられなくなって、最後はプリンをほんの一口食べてもらうのも難儀してました。ミヨ子ばあちゃんは食欲があってすばらしい」
と絶賛するほどだった。
翌朝荷造りを終えたわたしは、ミヨ子さんとよくよく別れを惜しんでから空港へ向かい、東京へ戻った。帰省中のできごとを反芻し、さまざまな感慨を抱きつつ。
その翌日。お義姉(ねえ)さんからLINEが入った。
「お義母さんがね、デイサービスに出かける前に『二三四が起きてきたら、デイに行った、って伝えておいてね』って。二三四ちゃんはまだ2階に泊まってるつもりみたいよ」
娘が帰省していること、2階に寝ていて朝はわりとのんびり起きてくることは覚えており、出かけるとき「伝言しておかなくちゃ」と思いついたのだろう。お別れの挨拶をしたことは忘れたけど……。
自分についても、なぜこの場面でこの記憶が甦ってそっちに意識が切り替わってしまうのだろう? と感じることが稀にあるのだが、認知機能が低下していくと、記憶と意識のスイッチングというかアクセスがうまくいかなくなるのかもしれない。ミヨ子さんと電話で話したり、帰省中におしゃべりしたり言動を見たりしていて、そう感じることが度々あった。
でも、わたしのことを大切な人だと認識してくれているから、お出かけ前とっさに思い出してくれたのだろう。というかそう思いたい。わたしに限らず、家族や大切な人のことを、断片的でも辻褄が合ってなくても、思い出してくれればそれでいい。お母さんの大切な人は、いつも心の中にいるよ。わたしたちの心の中にも、いつもお母さんがいるからね。