ひとやすみ『日本のコメ問題』

 稲刈り時期に合わせたわけでもなく、たまたま『日本のコメ問題 5つの転換点と迫り来る最大の危機』(小川真如著、中公新書、2022年6月25日発行)を読んでいる。

 本書の中で、コメは他の穀物や蔬菜と異なり、手をかけないと育たない作物だという指摘にはっとさせられた。田植えと稲刈りを毎年繰り返すコメは、たしかにただタネを撒いておけば勝手に育って実るわけではない(もちろん、他の作物に農家さんが手をかけていない、という意味ではない)。

 それを、技術改良を続け乍ら何千年も繰り返してきた延長に、いまの米食文化があることのありがたさを、もっと意識するべきだろう(これは筆者の主張ではなく、わたしの思いだ)。

 また、コメ問題の多くは田んぼ問題であり、コメと田んぼの問題は分けて考えるべき、という指摘は目から鱗が落ちる思いだ。どうも日本人はコメと言われると「伝統的な主食」「農家(百姓)が汗水たらして作り、守ってきた主食」という一種情緒的なバリアを張ってしまうように思う。かくいう私もその一人、両親やその世代、さらに上の世代の苦労を見て育った者として、コメ作りは守られるべき、と基本的には思っている。

 が、日本のコメも世界的マーケットの中に位置付けざるを得ない時代、情緒とは切り離した議論も必要だろう。食を含む文化のありかた、政策や行政としての効率、経営資産としての田んぼ(農地)、そして食料(糧)安全保障の視点など、長期的観点から冷静な議論がなされるべきだろう。

 サブタイトルのとおり、コメを巡る近代の歴史にはいくつかの転換点があり、それらを経て、日本のコメも自由市場の商品のひとつになった。と、言い切れるほど割り切れていないのだが、その位置づけは今後変わらないだろう。人口減少の中で、ほかの様々な食品のひとつとして選択されていく運命とともに。

 本書はまだ読了していない。島根県生まれで東京農工大を選んだ筆者が、コメを巡る問題にどんな着地点を見出すのか、深い興味をもって読み進めている。

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