文字を持たなかった昭和 二百三十六(高菜漬け)
昭和中期の鹿児島の農村、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)たちの冬の仕事として、高菜の収穫について書いた。
漬けあがった高菜は使う量だけ取り出して刻み、ご飯のお供やお茶請けにするのがいちばんの食べ方だった。農家は農作業の合間の休憩にお茶を飲む。身体を使う仕事ゆえ塩分補給は欠かせないから、高菜漬けのような漬け物や梅干しは季節ごとに大量に自家製して蓄えておくのが常だった。
刻んだ高菜漬けはおにぎりの具にもした。梅干しが入っていることが多いおにぎりの中から高菜漬けが現れると、子供たちはちょっとうれしそうだった。
もっとうれしそうなのは、漬けた高菜の葉を広げてご飯を包んだおにぎりだった。ミヨ子は自分で漬けこんだ漬け物樽から高菜を出してしっかり絞り、葉っぱを拡げて握ったごはんを包んだ。古漬けに近い高菜は黄色味がかって柔らかく、乳酸発酵のおかげで少し酸味も加わっていた。その高菜で包んだご飯は、見た目の珍しさもあって、子供たちは喜んで食べた。
ただ、ご飯に辿りつく前に高菜の葉を嚙み切らなければならない。歯が悪くなった舅の吉太郎や姑のハルには「噛み切れない」と評判がよくなかった。
漬け物の葉で包んだこのおにぎりが、「めはり寿司」という名前で和歌山などの郷土料理になっていることを、二三四(わたし)が知ったのは大人になってだいぶ経ってからだ。テレビ画面でまさに「目を見張り」大きな口をあけてめはり寿司にかぶりつくタレントの姿を見て、ちょっと酸っぱくなった高菜漬けに包まれたおにぎりの味が鮮やかに甦った。
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