文字を持たなかった昭和 帰省余話(2024秋 16) ゆっくり食べる①
昭和5(1930)年生まれで介護施設入所中のミヨ子さん(母)の様子を見に帰省し、郷里へ連れて行ったお話である。入所後初めて施設(グループホーム)を訪ねて再会し、車椅子も車に積んでふるさとへ向かう。寄り道が祟って食堂のある海鮮市場には予定より遅れて到着、昼食は順番待ちになった。店頭のメニューやお惣菜を見るうちミヨ子さんがトイレに行きたいと言い出し、不要領ながらなんとか介助した。
ようやく順番が来て案内されたテーブルに着き食べ始めたのは、12時頃。
ミヨ子さんは、大きめの器以外は左手でしっかり食器を持ち、右手のお箸で食材をつまんでは口に運んでいる。モノによってはこぼしたりするが許容範囲だろう。わたしはミヨ子さんの隣に座り、ちらちらと様子を見守る。食材は口に入れるのにちょうどいい大きさか、硬すぎるものはないか、柔らかいものはお箸や口からこぼれないか、汁ものを飲むのに咽ないか――などなど注意点はキリがない。自分の食事を味わう余裕はとてもない。
ミヨ子さんの定食は鯛入りコロッケ、それはそれでおいしそうだがちょっと単調なので、わたしの天丼に載った天ぷらをコロッケとシェアすることにする。
「お母さん、こっちの天ぷらとコロッケを分けよう。天ぷら、どれがいい? これは白身のお魚だと思う、これはカボチャかな」
とミヨ子さんが好みそうなものをいくつか「推奨」してあげて、代わりにコロッケをひとつもらう。天つゆつきの天ぷらをコロッケの脇に置きそれぞれ一口大にお箸で切ってあげると、ミヨ子さんは早速食べ始めた。合間にご飯を食べるのも忘れない。どれを食べていてもじつにおいしそうだ。器に載っているものは残さずにすべて食べようとする「意欲」も変わらない。
ただ、まだ息子のカズアキさん(兄)一家と同居していた5月にちょこっと会いに行ったとき〈287〉に比べて、食べる速度が格段に遅くなっている。じつは外出について施設に相談し、食材のタブーや食事の注意事項について尋ねたとき、職員の方から「ゆっくりですけど何でも召し上がりますよ」と言われ、「ゆっくり?」と疑問に思っていた。
同居中、カズアキさんからはしょっちゅう
「ゆっくりよく噛んで食べなさい、っていつも言ってるでしょ」
と指摘されていた。それに、十分な食事をとったあとでも、追加で何か出されるとまた食べてしまうので「ちょっと食べすぎじゃない?」とも怒られていた。
ともかくこんなに食べるのが遅いミヨ子さんは初めて見た。食への意欲はまだしっかりあるようだが、速度が落ちたのはどういう理由だろう、と考える。施設でほかの入居者さんが食べる速度に合わせているうちに遅くなったのか、ゆっくり食べないとすぐに食べ終えてしまうが、息子の家のように追加でもらったりできないからか。あるいは、食べる「意欲」がじつは減じてきているのか。よくわからない。
幸いなことに、ミヨ子さんは嚥下力がまだしっかりあるようで咽たりはしない。ほとんど総入れ歯ではあるが、自分の口の筋肉でしっかり咀嚼し、ちゃんと飲み込む。御年94歳〈288〉、偉いものだなぁ、と思う。あと30数年後、わたしはこんなふうに自分で食事できるだろうか。いや、ムリ、ムリ、ムリ。
〈287〉本(2024)年5月の帰省については「続々・帰省余話 1~26」で述べた。
〈288〉ミヨ子さん実際の生年は戸籍より1年早いことは度々触れている。初出は「ひと休み(戦前の出生届)」