文字を持たなかった昭和 百(屋根の葺き替え)

 自分にとって百回めの記念になりそうなテーマを…と考えた結果、これにした。

 ミヨ子たちの家では、藁葺きだった母屋の屋根を昭和37(1962)年に瓦に葺き替えた。納屋*の屋根の葺き替えはもう少しあとだったかもしれない。

 舅の吉太郎が徒手からこつこつお金を貯め、田畑や山を買い広げる傍ら、まだ独身の頃に買ったのがこの屋敷だ。

 太い柱や梁が廻らされた頑丈な造りの建物、その屋根だけを葺き替えたのは、高度経済成長期屋根瓦を買うだけの経済力がついたという理由がいちばんだろうが、藁葺き屋根を葺ける人が減ってきたということもあったし、みんなが忙しくなり、近所どうしで屋根葺きを手伝いあう習慣がだんだん廃れつつあった、という理由もあっただろう。

 もちろんわたし自身は葺き替えられたあとの瓦屋根の下で育ち、藁葺きだった屋根はまったく知らない。近所に藁葺き屋根の家が何軒かあったことは覚えているが。

 それでも、わたしの誕生日が来る度に母のミヨ子は「あんたが生まれた年に屋根を瓦に葺き変えたから、うちの屋根ももう〇年なんだねぇ」と言っていた。よほど印象に残っていたのだろう。

 建屋は取り壊してしまって、もうないのだけれど――。

*鹿児島弁では「ウンマヤ」と呼んでいた。「厩(うまや)」が訛ったのだと思う。言葉を短くすることが多い鹿児島弁にあって、長くなるのは珍しい。アクセントはいちばん最後に置く。「ウンマ

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