文字を持たなかった昭和 二百三十二(ニンジンの葉)
昭和中期の鹿児島の農村、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)たち農家の冬の仕事のひとつとして、ニンジンの収穫について書いた。
子供だった二三四(わたし)がうろ覚えなのが、ニンジンの出荷の際、葉っぱをどうしていたか、ということ。根っこ、つまり可食部である「本体」より大きく長い葉っぱがついた状態で出荷したとは思えないが、スーパーや八百屋で見かけるように、頭のところで切り落とした記憶もない。あるいは畑で切り落としてから運んだのか。
いずれにしても、ニンジンの葉はふさふさと長い。それを全部捨ててしまうのは、ミヨ子たち農家の主婦にとってはもったいないことに思われた。
そこで作ったのが、ニンジン葉の白和えである。
柔らかめのニンジンの葉――概ね内側の、それほど繁っていない部分――を選り分けて、熱湯で茹でる。水気を絞ったあとは、いつもの白和えと同じように作ればよかった。細めに切って少し甘く味付けしたニンジンを加えることもあった。親子丼ならぬ親子白和えといったところか。ミヨ子は甘めの味付けが好みで、この白和えも例外ではなかった。
そもそもニンジン自体独特の香りがあって子供にとってはそれほど好ましい食材ではないが――ことに「昔」のニンジンはそうだった――、葉っぱとなるとさらに香りも味も強い。下手なハーブは顔負けだ。ニンジンの収穫期になるとニンジン料理が頻繁に食卓に上って、ただでさえ食傷気味なのに、その「一環」として葉っぱの白和えも追加されるのだ。
子供にとって白和えはもともと「おいしい!」と思える料理ではない。そのおいしさがわかるにはかなりの年数というか経験が必要だろう。食べ物について好き嫌いを言うなどありえない生活環境で、出されたものをありがたくいただくのが鉄則の家庭で、ミヨ子が大きな擂り鉢で豆腐をゴリゴリ擂る音が聞こえると、二三四は反射的に「今夜のおかずは〈あきらめ〉だ」と思うのだった。
一方で、豆腐を使うこと自体が「ごちそう」と受け止めていた明治生まれの舅や姑の世代は、喜んで食べた。本来捨ててもいい葉っぱを使っている点も評価が高く、甘めの白和えをおかわりして食べてくれた。それを子供たちは不思議な気持ちで見るのだった。