最近のミヨ子さん 介護施設について(前編)

 昭和の鹿児島の農村。昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴ってきた。たまにミヨ子さんの近況をメモ代わりに書いている。

 ミヨ子さんはここ10年ほど息子のカズアキさん(兄)一家と同居してきたが、最近とみに脚力が弱まったことからバタバタと介護施設への入所が決まり、つい先日入所した。娘としては十分親孝行できなかったという後悔が募っていた。

 入所から5日が経ち、お嫁さん(義姉)から面会の様子が動画で送られてきた。夫婦揃って行ったようだが、現れたミヨ子さんは、息子の名前もお嫁さんの名前も、そして娘(わたし)の名前も思い出せなかった――といったことを前項で述べた。

 3人(車椅子を押してくれているスタッフさんを入れれば4人)が面会しているのは施設の入り口。道路に面しているらしくひっきりなしに車が通り、そのたびに音声が聞こえづらくなる。「談話室みたいなところはないのだろうか?」わたしの中で頭をもたげてきたのは、ある種の疑念だ。

 ミヨ子さんが入ったグループホームは、カズアキさんたちが施設入所を検討し始めたときいちばんの候補にあがった先で、最大のメリットは「家から近い」ことだった。これについてはわたしも、家族が住む場所から近いのは何かと便利だし心強い、と思っていた。

 ただし、入所当日についての記事の補足に記したとおり「それは一面の見方でしかなかったことをあとで知らされた」。ここで述べた「あと」とは、面会の動画を見てからのことである。

 面会と言っても、上で述べたとおり施設の入り口、車が往来するすぐ側で、である。まったく落ち着かない。スタッフさんが車椅子を支えているのは仕方ないとしても、身内どうしの話もできない。

 わたしは、入所後の面会は個室であるミヨ子さんの部屋でするものだとばかり思っていた(もちろん「勝手に」ではある)。ベッドに腰掛け、持ってきたものを見せたり食べてもらったりしながら。そうでなくても、面会できる場所はあるだろうと、漠然と、だが信じて疑っていなかった。

 施設入口での落ち着かない面会が繰り広げられる動画を何本も視ながら、わたしが会いに行っても、あんなふうに「ただ顔を見ただけ」みたいな面会しかできないのか、と愕然とした。そして、自分の母親がほんとうに手の届かないところへ行ってしまったことを現実として痛感した。

 思えば、ミヨ子さんが入る(予定の)施設について、トータルの情報をもらっていたわけではなかった。施設独自のホームページはなく、県庁や、全国の介護サービスの紹介サイトなどに概要が載っている程度。ネット上で確認できる画像もそう多くなかった。やや踏み込んだ条件やサービス内容は、お嫁さんが調べたり聞いてきたりした内容を「また聞き」しただけだ。

 だから、わたしの事前の認識と現実に乖離があったとしてもやむを得ないことではあった。それにしても、とわたしは思ってしまう。(後編へ続く)

いいなと思ったら応援しよう!