最近のミヨ子さん 雪の鹿児島へ
(前項「転院後(4)」はこちら)
鹿児島の農村で昭和5(1930)年に生まれたミヨ子さん(母)の近況の続きである。
昨(2024)年6月末に施設(グループホーム)に入所したミヨ子さんは、年末に体調を崩し緊急搬送されたのだが、1月中旬には施設入所まで同居していた息子のカズアキさん(兄)宅近くの病院に転院し、その後の様子を述べてきた(転院後(1)、(2)、(3))。だが、2月3日ミヨ子さんの容態が急変した((4))。
翌日には少し落ち着いたようではあったものの、わたしは「いざという時」のための服なども一式用意し、6日に鹿児島へと向かった。
「お母さん、わたしが帰るまで待っていて」
と祈りつつ。
数日前から日本列島は強烈な寒波に見舞われ、鹿児島でも雪が降り前々日と前日は空の便も多数欠航していた。6日には鹿児島の雪は止んでいたものの、交通の混乱はまだ続いていた。
鹿児島空港が近づき、上空から周辺の山林や田畑が見えてきた。田畑はほぼ例外なく雪で覆われている。太い道路は空港をつなぐ有料道路のはずだが、走っている車は見えなかった。
10:40鹿児島空港着。前方通路側の席で手荷物だけだったので、バス乗り場まではすぐに出てこられた。ここまでは順調だったが、空港バス乗り場には長い長い列ができている。山間(やまあい。と言っていいだろう)にある空港までの有料道路が積雪後の凍結のため通行止めになっており、空港へ向かう、あるいは空港から出るすべての車両は一般道を通るしかない。やっぱり。積雪後の冷たい風邪の中での行列に備えてまずトイレに行き、切符を買ってから最後尾に並んだ。
列はバスの到着に合わせて進んでは停滞した。バス自体減便されている。風がものすごく冷たくて、寒い。それでも列が進んでいるのは心強い。行列している間カズアキさん夫婦とLINEでやりとりしていたら、お嫁さん(義姉)が「面会の予約時間を30分遅らせておくね」と伝えてきた。ありがたい。
やっと「次のバスに乗れる」タイミングが訪れた。トランクに預ける荷物を係の人に渡しながら、鹿児島市内――鹿児島中央駅と県内随一の繁華街である天文館の2か所に停まる――まではいったいどのくらいかかるのか、どこにも誰からも案内がないのが気になっていた。通常なら40分程度の行程である。
と、わたしの二人ぐらい後ろの男性が市内までの所要時間を訊いた。おそらく列に並ぶ誰もがその答えを聞きたいと思っていたはずだ。
「2時間ですかね。空港まで来るバスがどれもそのくらいかかってます。早ければ1時間半かな」
係の人が答え、行列のあちこちから小さなどよめきが聞こえた。でもこのバスに乗るしかない。
11:40、車内通路の補助席まで満席になった状態でバスが発車した。一般道を信号待ちしながら走る。空港の行き帰りに見慣れた景色ではない、町なかや郊外の景色を目で追う。これはこれで新鮮だ。高校卒業と同時に郷里を離れたわたしは、県内の地理と地名が一致しないことが多く「〇〇ってこのへんか」と認識することが続く。
バスはやがて、桜島が浮かぶ錦江湾(鹿児島湾とも)に沿った国道10号線に出た。湾沿いに婉曲する道が鹿児島市内まで続くのだ。この国道を通るのは多分初めてだ。ふだんは鹿児島市側、つまり西からばかり見ている桜島を北から眺めながら進んでいく。
「当たり前だけど、こっち側の人にはとっての桜島はこんな姿なんだなぁ」
としみじみ思う。自分はふるさとのことをほんとうに知らないなぁ、とも。
その桜島も5合目あたりから上を雪化粧している。バスが動いている限りミヨ子さんに会える瞬間は確実に近づいているわけでわたしの焦りはほぼ解消し、「お母さんは雪の桜島をわたしに見せてやりたくて呼んだのかもしれない」と考えてもいた。(次は「面会規定」)