文字を持たなかった昭和 百九十五(チリ紙)
『昭和の習慣「包む」』、『同「お金を、包む」』で、昭和40年代頃の「包む」材料としての「チリ紙」に触れた。チリ紙には、いわゆる「落し紙」としてトイレで使うようなものと、顔を拭いたりする高級なものがあることも。
ここでは、母ミヨ子やその世代、そして子供時代の二三四(わたし)たちにとっても身近だった「チリ紙」について書く。
「チリ紙」の実物を使った経験があるのは若くても50代以上ではないだろうか。簡単に言えば、トイレットペーパーであり、ティッシュである。「落し紙」として使うのが前者、顔を拭いたりするのが後者だ。
なぜ「落し紙」と言うのかは、いまのように水洗トイレで流してしまうのではなく、当時は主流だった「ぽっとん便所」で使ったあと落すから、である。落すのはチリ紙とは限らなかったが、この話題はとりあえず置いておく。
高級なほうのチリ紙は、二つ折りにしたものを「高級化粧紙」と印刷された紙で巻いて、ビニール袋に入れられていた。表面(表側)がすべすべというかつるつるしていて、裏側はザラザラだった。おそらく紙を漉くときの表と裏の関係だろう。表側はあまりに滑らかで、給水力は少し劣るような気がした。ちなみに、いまのティッシュは薄い2枚が重ねてあるが、剥して1枚ずつにすると、少しザラザラした感じの面を内側で合わせてある。
ミヨ子が納戸の窓際に置いていた質素な化粧品の近くにも、化粧紙の包みがあった。「けしょうし」と読むのだと教わり、お化粧するときに脂取りなどに使うということか、紙自体が高級でお化粧したようにきれいに作ってあるという意味か、子供の二三四には図りかねた。
ミヨ子はあまりお化粧をしなかったが――する機会は滅多になかった――、いまのポケットティッシュの役割はこの化粧紙に担わせていた。つまり、外出のときは10数枚の化粧紙を4つに畳んでポケットやかばんなどに入れていたのだ。
子供たちの通園、通学の持ち物としての「チリ紙」にもこの畳んだ化粧紙を入れた。落し紙にするほうのチリ紙を畳んで携帯する女性や子供たちもいたが、柔らかくてポケットの中で破れたりよれたりしやすいので、携帯用には向かない、というのがミヨ子の持論だった。
化粧紙には、化粧落しやモノを包んだりする以外に重要な役割があった。折って開いて紙の花を作るのだ。
運動会、お遊戯会、学芸会、誕生会、集落や地域のレクリエーションなどなど、人が集まりちょっとした飾りつけをするとき、紙で花を作った。化粧紙を何枚か重ねて、端から2センチくらいの幅に屏風折りにしていく。細長く折ったら真中を輪ゴムで止める。そのあと両側から1枚ずつ開いていくと、ボールを半分に割ったような形の紙の花が出来上がった。
おそらく白い化粧紙より高かったと思うが、ピンクの化粧紙もあった。運動会など「紅白」の花がほしいときは、ピンクの化粧紙も同じように折って、開いて、花を作った。
幼稚園のお遊戯会などは、「おうちの人にお花を作ってもらいましょう」と言われ、一人あたり白が何個、ピンクが何個と割り当てられた。この場合は折った状態で幼稚園に持って行き、仕上げは先生たちがやってくれた。
そうそう、当時は「ピンク」と言わず「もも色」、運動会のときは白の対照として「赤」と呼んでいた。色にも外来語が入ってくるのは、昭和40年代後半か、もう少しあとかもしれない。
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