文字を持たなかった昭和 二百七十三(手作りの乾物―干しニンジン)
昭和中期の鹿児島の農村。昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)を中心に庶民の暮らしぶりを書いている。冬場に作る乾物として、桜島大根を干してかんぴょう状にした「ぐいぐいみっ(ぐるぐる剥き)」、手のような形にダイコンを切って干した「サルの手」、ニンジンを手の形に切って干した「赤いサルの手」ついて書いた。
ニンジンで思い出した。「赤いサルの手」はむしろ後発で、ニンジンの薄切りを干したものを、ハル(祖母)やミヨ子はもっと前から作っていた。
ニンジンを、細いものなら斜め輪切りに、太いものなら縦半分に割ってから斜め薄切りにした。それを筵(むしろ)に広げて乾かすのだ。薄く切ってあるから乾くのは速かった。乾いたら、お歳暮やお中元でいただいた海苔の空き缶に入れて保存した。
食べるときは基本水に漬けて戻す。戻して軽く絞ったものを、卵と炒めたりもした。みそ汁なら出汁に直接入れてもよかった。
収穫したものは、とにもかくにも無駄にしなかった。それが百姓の魂だと、二三四(わたし)は祖母や母から教わった。