文字を持たなかった昭和 続・帰省余話19~お墓参り、結局

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴ってきた。

 今度は先だっての帰省の際のあれこれをテーマとすることにして、印象に残ったことのまとめやエピソードに続き、ミヨ子さんを連れてのお出かけを順に振り返っている。桜島を臨むホテルに泊まり温泉を引いた大浴場で入浴離島住まいのミヨ子さんのいちばん下の妹・すみちゃんも交えてディナーをたのしみ、翌日、島へ戻るすみちゃんとお別れした。

 その脚で、こんどは郷里の小さな町へ赴き、実家近くにある古いお墓へお参りするつもりだったのだが、車を下りたところでミヨ子さんの脚が竦んだように動かなくなってしまった。二三四(わたし)はおんぶを提案し、おんぶの姿勢までもっていったが、ミヨ子さんの腕の力が足りず肩や首にしがみつくことができない――というところまで書いた

 しかたがないので背中からいったん下りてもらおうとしたら
「痛い、膝が痛い!」
ミヨ子さんが大声で叫び、その場にしゃがみ込もうとする。やむなく車に戻ろうとするのだが、ほんの数歩が歩けない。脇を抱えて半ば引き摺るようにして車に近づこうとするが
「痛い! 痛いんだってば!」
と涙声、しかも大きな声を上げる。痛みで地面に脚を着けられないのだろう、仰向けに倒れてしまいそうだ。二三四たちは途方に暮れた。

 丘の上には墓地のほかに畑が広がる。田舎のことゆえ、畑の所有者は二三四も知り合いだ。少し先の市営のグラウンドは、平日ならゲートボール、週末なら少年野球を楽しむ人たちでにぎわうで場所だ。誰かが声を聞いて駆けつけるのではとヒヤヒヤする。へたすると老人虐待と思われかねないほど、ミヨ子さんの声は大きい。

 なんとか車に乗せて、ペットボトルのお茶を飲んでもらい落ち着くのを待った。
「お墓に行くのは無理だよ。車の中からお参りしてもらえばいいんじゃない?」
と家人。二三四ひとりが代表でお参りしてくることになった。

 ミヨ子さんにとって最後になるかもしれないこのお墓参りのために、二三四は線香など一式を持参していた。子供のころ家族でお墓参りしていたときのように、まずロウソクに火を点け、風が当たらない場所のブロック囲いの上に蝋を垂らしてロウソクを固定する。その火を多めに持参したお線香に移す。

 ミヨ子さんの両親(わたしの外祖父母)たちが眠るお墓にまずお線香をあげ、同じ墓地にある親戚のお墓にも順にお線香を上げてお参りしていく。全部で10基くらいか。昔はもっとあったが、納骨堂に埋葬し直したり墓じまいしたりして、お墓もずいぶん減った。最後にもう一度ミヨ子さんの実家のお墓に戻り、近くまでミヨ子さんが来ていることを報告し、時間をかけてお祈りする。

 ここの墓地は家から近いため、現役主婦だった頃のミヨ子たちはわりとまめにお参りに来ていて、ミヨ子さんは庭の花を、二三四はお線香を持って行ったものだった。ミヨ子さんの夫の二夫さん(つぎお。父)に至っては、晩年はほとんど毎日お墓参りし、墓地全体を掃除していた。とっくに納骨堂に埋葬し直していたのに、身近でお参りできる場所だったからだろう。そんなふうに、家族にとっては思い出深い場所でもある。

「去年の夏まではお墓参りできたのに……」〈192〉
二三四の中では、母親に無理をさせてしまった後悔と、お参りさせてあげられなかった心残りがないまぜになった。

〈192〉「百四十六(お盆、その六)」で昔のお盆の風習を述べるとともに、執筆した頃の夏、お墓参りきたミヨ子さんについても触れている。お参りする写真も掲載した。つい1年数か月前のことだ。お参りする姿はもう見られないだろうと思うと、改めて切なくなる。

※前回の帰省については「帰省余話」127

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