最近のミヨ子さん 介護施設入所後、その十六
(その十五より続く)
8月17日(土)入院中のミヨ子さん(母)との2回目の面会の様子を、お嫁さん(義姉)が動画送ってくれた。病院側はそろそろ退院の検討もするらしい。94歳のミヨ子さん、驚異的な回復ぶりである。
お嫁さんは、わたしが託した絵ハガキを持って行ってくれていた。動画の中のミヨ子さんはそれをしっかり手に持って、絵や表書きをしげしげと眺め、文面を目で追っている。
病院の規定で病室に私物は一切置いておけない。ミヨ子さんがハガキをひとしきり読んだ(と思われる)あと、お嫁さんの声が流れた。
「これ(ハガキ)はお部屋には置いておけないから、いったんわたしが持って帰るね」
あまりわかっているふうではないミヨ子さん。
「〇〇〇〇(緊急搬送前に入居していた介護施設の名称)に帰ったら、これも持って行くわね」
ミヨ子さんは頷いてはいるものの、反応はいまひとつ鈍い。
「ここは病院でしょう? お母さんがもう少し元気になったら、退院できるんですって。退院したら 〇〇〇〇へ帰るからね。手紙は〇〇〇〇に持って行ってあげるね」
「〇〇〇〇には、またちょくちょく会いに行くから。何か食べたいものがあれば持って行くし」
わたしは動画の中のミヨ子さんをじっと見つめる。ミヨ子さんは「〇〇〇〇へ帰る」という意味が、わかっていないのではないか、なぜ「家へ帰る」ではないのだろうと感じているのではないか、と切なくなる。
施設入所当日のことは「最近のミヨ子さん Xデー当日――施設入所」で述べた。入所したのは6月30日だ。それからすぐに新型コロナに感染して面会できなくなり、ほどなくほかの感染症などのために鹿児島市立病院に緊急搬送され、そこからいまの病院へ転院、つまり地域へ戻ってきた。
およそ1カ月半以上、体調を崩した状態でなじみのない環境をくるくると移動し、いま自分がどこにいてどういう状態なのか、うまく認識できていないだろう。断片的に認識できたとしても、前後関係――そこまでの経緯や、今後どうなりそうかまで考えられていると思えない。
とりわけ、息子たちと同居していた「家」からなぜ出てきたのか、なぜそこに戻らないのか、理解できてはいないだろう。周りでお世話してくれている人たち――施設ならスタッフ、病院なら看護師さんたちが、どんなに親切だとしても。
わたしはまたひとつ、新しい後悔に苛まれている。「施設へ入ることについて、もっと早い段階で、ミヨ子さんとちゃんと話をしておけばよかった」。もしお母さんの体が動かなくなったら、老人ホームへお願いしてもいい? お母さんはどう思う? ぐらいのことは、聞いておけばよかった。
これまでのミヨ子さんの人生から「主体性」というものを感じたことは、あまりない。いつも夫(父)、親や舅・姑(祖父母)、そして周りの人を優先していた。夫に先立たれてからは息子(兄)の、いわば言いなりに近かった。わたしは陰ながら「お母さんはほんとうにそうしたいの?」と思っていたが、現実問題として、ミヨ子さんが「自立」するのはまず無理だった。
だから施設に入ることについても、息子(夫婦)が決めるのならそうするべきだ、というのが既定路線でもあった。
でも、一言、「それでいいのよね?」と聞いておけば、こんなにいろいろ考えずにすんだかもしれない。「お母さんが望んでいたことなのだから」と。
人生にはタイミングを逸してしまうことがままあるにせよ、こんな大事なことをちゃんとしてこなかった過去の自分を恨みたくなる。(その十七へ続く)