最近のミヨ子さん 面会後

 鹿児島の農村で昭和5(1930)年に生まれたミヨ子さん(母)の近況の続きである。(前項「面会②」はこちら

 昨年末から入院していたミヨ子さんの容態が2月早々に急変、わたしは鹿児島へと向かい、カズアキさん(兄)と面会に赴いた。ミヨ子さんは一時より安定していたが言葉はほぼ発せない。カズアキさんが先に病室を出たあとわたしは短い二人きりの時間を過ごした。

 そして「また来っでな」(また来るからね)と、お見舞いの最後の定型句しか思いつかない自分に呆れながら、後ろ髪を引かれる思いで病室を後にした。

 ナースステーションに寄って面会終了を告げる。病院側からはお見舞いのために数日帰省したと思われているようだが、わたしは「万一」を考えてある程度の期間滞在するつもりでいること、したがって自宅へ戻る予定はまだ決めていないことも話した。「万一」は口にしたくないのか、看護師さんたちは神妙な表情を見せている。

 「お聞きしたいんですけど」とわたしは切りだした。知りたいのは点滴の内容だった。看護師さんの説明によれば「主成分はブドウ糖。状態によって医師が電解質(ナトリウムとかカリウムとかだろう)を調整している」ということだった。生理食塩水とか、電解質入り飲料という言葉が頭をよぎる。

 看護師さんはわたしの「意図」を深読みしたのだろう、
「ご家族のご要望があれば、高栄養の点滴にすることもできますが…」
と言いかけた。その処置は、ツレのお母さんが最後に入院したときにしたことがあるのである程度知っている。通常の点滴は腕などの末梢静脈に行うが、高栄養のものはより心臓に近い中心静脈――脚の付け根や首元――に皮膚切開して挿管するのだ。

 わたしは「いえ、そういう意味ではなく、単純に点滴の中身を知りたかっただけです」と答え、次の面会についてはまた連絡する旨を告げ、「母のことを、よろしくお願いします」と言って病棟を辞した。

 ひらたく言えば、ミヨ子さんは砂糖水に塩などを入れたもので生きている、ということだ。いや生かされている、と言っていい。心臓というポンプにブドウ糖液を送り込み、血液に換えて全身に運ぶ。足りない栄養やエネルギーの分は、自分の体を、きわめてゆっくりと削りながら。

 わたしにはこの状態が「医療」だとは思えない。いっそひと思いに、とまでは言わないが、もっと人としての尊厳を尊重した扱いがあるのではと思う。いや、病院側は十分ていねいに接していてくれる。ただし、制度としての医療の立場から。

 駐車場に戻るとカズアキさんが「遅かったな」と一言。絶対言われると思っていた。「看護師さんと少し話していたから」と答えると「あんまり迷惑かけるなよ」と釘を刺された。「面倒な家族がいる」と思われたくないのだろう。

 そんなことより、お母さんのことをどう思っているの? と、わたしは訊きたかった。ほかにも兄妹だけで話したいこともあったが、車は5分もせずにカズアキさん宅へ着いてしまった。(次は「手持ち無沙汰」)

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