ひとやすみ 香港映画『星くずの片隅で』(原題『窄路微塵』)

 7月14日に封切られたラム・サム(林森)監督による香港映画『星くずの片隅で』を観に行った。わたしの場合、映画は好きだが台湾映画やドキュメンタリーに興味が偏っているうえ、最近は映画そのものを観る機会が減っていた。とくに香港映画は『十年』以来で、これといった予備知識もなく、たまたま目についた映画評を読み、思い立った。先々月、香港出身の古い友人としばらくぶりで会い〈164〉、香港について考える機会が増えたせいもある。

 若干ネタバレになるが、あくまで自分のメモとしてのあらすじを、公式サイト掲載文に加筆しつつざっと述べる。

 2020年、コロナ禍の香港。小さな清掃業を営むザク(ルイス・チョン)は、車の修理代や品薄の洗剤に頭を悩ませながら、消毒作業に追われる日々を送っている。リウマチを患う母(パトラ・アウ)は、憎まれ口をたたきながらも、たまに看病にくるザクのことを心配している。

 ある日、ザクの元に派手な服装の若いシングルマザーのキャンディ(アンジェラ・ユン)がアルバイト募集の貼紙を見てやってくる。まともな仕事をしたことがなさそうなキャンディだったが、娘ジュー(トン・オンナー)のために慣れない清掃の仕事を頑張りはじめる。しかしキャンディが子供用のマスクを客の家から盗んでしまい、ザクは大事な顧客を失ってしまう。

 幼い娘を抱え、まともな暮らしもできずにいるキャンディを見て、ザクはもう一度だけチャンスを与える。心を入れ替え仕事に打ち込んでいくキャンディにだんだん惹かれていくザク。そんな中、ザクの母が急死する。葬儀に向かうザクを送り出し、一人での仕事に張り切るキャンディ。しかしジューがうっかりこぼしてしまった洗剤をきっかけにキャンディは追い詰められ、ある「打開策」に頼ってしまう。

 使われている洗剤が偽物という通報がもとで、信用第一で続けてきたザクの会社は訴えられ、裁判で4万ドルの罰金刑を受ける。偽物の洗剤を使った理由を言わないままキャンディは娘とともに姿を消す。結局ザクの会社は倒産、古いディーゼル車も廃車した。何もかも失ったザクの手元には、ディーゼル車廃車に伴う環境改善のための政府補助金8万数千ドルが残された。

 ザクはある日ネットカフェで働くキャンディを見かける。子連れで働くのにふさわしくない環境、ザクは罰金を払った残りの補助金を、ジュ―の誕生日プレゼントにかこつけてキャンディに渡す。「君ならがんばれる」というメモを添えて。キャンディは初めて洗剤の件を吐露し、お金は受け取れないと言う。

 しかしザクは、誰も悪くない、とキャンディの肩を抱く。対岸には高層ビルが立ち並ぶ香港の風景。

 ――こんなところだろうか。

 場面のほとんどは、ザクの会社が入る雑居ビルとその界隈の香港の下町で展開する。昔からの香港を知っている人にはある種懐かしい風景かもしれないが、民主化運動への弾圧を経てコロナ禍にある街は、閉店のお知らせがあちこちに出され、荒んだ空気の中によどんでいる。街を歩く人たちも長く香港に住む高齢者の庶民が目立つ。働く人たちも、ザクのように目の前の仕事をこなすのに精一杯で、長期の展望、まして希望を持てているようには見えない。その光景は、長いデフレのあとコロナの直撃を受けた日本とも重なる。

 一方で、ザクの顧客には富裕層もいる。海が見渡せる高層マンション、さまざまな遊具がある高級幼稚園などなど。キャンディには子供のマスクを頻繁に交換するなんてできないが、裕福な家族が、子どものマスクがちょっと汚れただけで交換し、古いマスクを道に捨てていくシーンは印象的だ。ザクの母親も、使い捨てマスクを鍋で蒸して「消毒して」使っていた。

 ストーリーは、誠実をモットーに努力して小さな成功を収めていた(ように見える)ザクが、目の前の問題をかわすためについ嘘をつく癖を身につけてしまったキャンディと関わったことで、徐々に運命が変わっていく様を辿っていっているようにも見える。わたしなどは途中で「その嘘つき女と関わらないほうがいいのに」と思ったりもした。

 しかし、妊娠がわかったとたん男に捨てらた過去を持つキャンディは、妊娠中の超音波検査の画像を大事に持っていて、産まれてきたジューをこよなく愛している。アニメで覚えた日本語を会話に挟み、コスプレに熱中するアニメファンでもあり、等身大の香港の若者の一面も見て取れる。彼女が嘘つきになったのは、彼女が置かれてきた環境ゆえとも受け取れる。

 ザク自身とザクを取り巻く人々も、けして上品とは言えないが人情味にあふれている。「古きよき」という言い方はあまり好きではないが、香港の庶民がどう生きてきたか、生きているかが活写されている。肉体労働者らしくザクはしばしばタバコを吸うが、そのタイミングが絶妙で吸い方も様になっている。タバコという小道具にこれほど語らせる映画は、日本では少なくなっているのではないだろうか。

 本作には、政治的なメッセージはおそらくなにも込められていない。せいぜい経済格差、運のよしあしが少し強調されている程度だ。社会の底辺にいるキャンディ親子はもちろん、ザクも、住みづらい香港からどこかへ移民する手段はない。もしかするとザクは、清掃会社がもっと成功すれば可能性はゼロではなかったかもしれないが、それもなくなった。

 ただ、わたしはどうしてもそこここに中国の影を見てしまう。統治期の終盤、英国は香港に自治のシステムとやり方を残していった。50年は香港を変えないという大陸の約束を信じて。だが周知のとおり、約束は早々と反故にされたうえ、急速な大陸化が進んでいる。いや、大陸に吞み込まれその一小都市にされようとしている。もちろん「北京」によって。その結果、「北京」に近く富めるものはより豊かに、「北京」に縁がない者は這い上がるチャンスすら持てない。そして、実情を訴えることはおろか、思っていることを自由に語り合える空間すらなくなってしまった。

 中国に返還されなくても、香港の庶民の暮しは必ずしも楽ではなかったかもしれない。だが、香港には自由と自由を担保するシステムがあった。自分の力で未来を切り開いて行ける手段と空間が、それぞれの能力に応じて用意されていた。だが、星くずは星くずでしかなくなった。「東洋の真珠」の輝きを放っていた香港を一度ならず訪れ、そこに知己もある身としては、きらびやかな高層ビルと消毒作業明けの薄汚れたザクとキャンディの後ろ姿の対比には、胸につまされる以上の苦しさと苦さに迫られる。

 それでも、助け合い、誠実に生きていれば、なにがしかの希望はあるはずだ、というささやかな願いのようなものを本作は訴える。そうあってほしいとわたしも心から願う。

〈164〉わたしと香港との関わり、香港への想いについては「つぶやき 香港」「同(補足)」「同(自由について)」で触れた。

《参考》
『星くずの片隅で』公式サイト (hoshi-kata.com)
十年 Ten Years Japan : 作品情報 - 映画.com (eiga.com)
《香港の行政についての参考》
『香港失政の軌跡』(レオ・F.グッドスタット)
参考書評:https://www.nippon.com/ja/japan-topics/bg900375/


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?