文字を持たなかった昭和 二百七十二(手作りの乾物―赤いサルの手)
昭和中期の鹿児島の農村。昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)を中心に庶民の暮らしぶりを書いている。冬場に作る乾物として、桜島大根を干してかんぴょう状にした「ぐいぐいみっ(ぐるぐる剥き)」、手のような形にダイコンを切って干した「サルの手」について書いた。
「サルの手」には赤いものもあった。赤、つまりニンジンを手のような形に切って干したものだ。
売るためにニンジンを作るようになったのは、二三四(わたし)が小学校の中学年の頃だと思う。形が悪くて農協や市場に出せないが、家でも食べきれないニンジンを、縦に平たく割って、それぞれの細い方に切り込みを入れたものだ。
ダイコンで作る白いサルの手より小ぶりで赤いそれに名前はなかったので、とりあえず赤いサルの手と呼んでおく。赤い方も、白いサルの手同様煮物にすることが多かった。
ただ大量にニンジンを植えていた時期はそう長くなく、数年で赤いサルの手も作らなくなった。農家としての本業のほうが忙しくなったからかもしれない。そのあたりは改めて書くことにする。