文字を持たなかった昭和 帰省余話(2024秋 11) つぼ漬け

 昭和5(1930)年生まれで介護施設入所中のミヨ子さん(母)の様子を見に帰省し、数時間ながら外出させ郷里へ連れて行ったお話を書いている。入所後初めて施設(グループホーム)を訪ねて再会し、車椅子を車に積んでふるさとへ向かうわが家があった場所や、集落の「田の神(かん)さぁ(田の神様)」を車窓から見せたあと食事場所へと急いだが、寄り道が祟って予定より遅れ、食事場所では順番待ちになってしまった。

 食堂は地元の海鮮市場「えびす市場」の奥にある。あたふたと車椅子を推すわたしの後から、ツレがわたしのかばんを持って追いかける。

 市場に入ると、この時間帯には朝揚がったばかりの鮮魚、できたてのお弁当やお惣菜、作り立ての豆腐などが並ぶとあって、売り場はごった返している。どこの売り場でも「順路」みたいなものが自然にできるものだが、ここもそう。その流れを遮らないように、人が少ない通路を選んで車椅子を推していく。

 ミヨ子さんが買い物できるような場所に来たのは、ほんとうに久しぶりだ。施設入所後はもちろんのこと――病院に行く以外で外出したことはない――、入所以前も脚が弱り始めてからは家族が外に連れ出す機会はめっきり減っていたから、数年ぶりかもしれない。

 人が少なめで車椅子での通行が邪魔にならないような通路の両側には、乾物やお米など、ひらたく言うと地味なものしか並んでいない。それでも、商品として売られている物とその陳列を久しぶりに見たであろうミヨ子さんは、目についたものに車椅子から手を伸ばす。

 漬物売り場でまた手が伸びた。鹿児島特産の「つぼ漬け」だ。たくあんのように、日干ししたあとに漬け込む大根の一本漬けだ。ミヨ子さんが農家の現役主婦だった頃は、大根は自宅で漬けていたし、家族が減って漬物を漬けなくなってからも一本漬けの漬物を買ってきて薄く切り、ご飯のお供はもちろんお茶請けにも食べていた。その頃のことを思い出しているのだろうか。

 種類の違う商品に次々と手を伸ばすので、わたしはそれぞれの特徴を伝えてあげる。ミヨ子さんは醤油漬けになったものが気になったようだ。そして
「あんたたちに買ってあげる」
と言った。お土産をくれると言うのだ。

 わたしは胸が熱くなった。認知機能の低下が進んで、健常者と思っている側の人が「正しい」と思うようには認識できなくても、記憶がうまく辿れなくても、会話がちぐはぐでも、子供のことを大事に思い、相手への気遣いを忘れない。ミヨ子さんは何も変わっていないのだ。
「ありがとう。ご飯を食べてから買い物しようね」
わたしはそう答え、実際そのつもりだった。

 しかし結果的には時間が押してしまい、つぼ漬けのことをすっかり忘れてしまったのは、わたしのほうだった。そもそも、ミヨ子さんが「こうしたい」と思ったそのときに、させてあげるべきだったのだ。それはこの日の外出の後悔のひとつだ(つまり他にもいくつか後悔がある)。

 それは後述するとして、混雑する売り場でゆっくり車椅子を進め、わたしたちは奥にある食堂にたどり着いた。

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