文字を持たなかった昭和516 酷使してきた体(28)歯④歯が弱い原因

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴ってきた。

 このところはミヨ子の病歴や体調の変化などについて記しており、そのひとつとして歯の状態に触れている。昭和中期頃のお口のケアに始まり、歯医者にはあまり行かなかったこと、結果的に70代で総入れ歯にしたことなどを述べた。

 ミヨ子たちの歯が丈夫でなかったことついて、お口のケアが不十分だったこと以外の原因を二三四(わたし)は考えている。

 それは井戸水である。

 ミヨ子の嫁ぎ先、つまり二三四の実家では昭和40年代半ば(1970年頃)まで井戸水を使っていた。井戸があった場所や汲んだ水をどのように使っていたかは「八十二(台所)」に概略を書いたとおりで、飲用にももちろんこの井戸水を用いていた。井戸を使い始めたのは、舅の吉太郎(祖父)が建物ごとこの屋敷を買った大正時代だと思われる。当時のこととて、飲用に適しているかどうかなどの検査もなかっただろう。そもそも、井戸や湧き水からの水を飲むのは当たり前で、生活用水として川を使うのも当然だった時代だ。

 ミヨ子たちも、井戸水を飲んでいて健康面に影響があったわけではない。ただ、生まれてからずっと井戸水を飲んでいた子供二人、つまり二三四と兄のカズアキは、生えてきた歯が白くなかった。薄い灰褐色と言えばいいのか、色がついていたのだ。女の子の二三四はそれが恥ずかしくて、思春期を迎えてからは、口を開けるとき歯を見せないよう気をつけたほどだった。のちに二三四は、井戸水の成分によっては歯に色素が沈着することを知った。

 色だけの問題ですまず、子供たちはあまり歯が丈夫でなくむし歯になりやすかった。それほど裕福でない家庭で、甘いものを頻繁に食べるわけではない。一方、学校では歯磨きについてしっかり教えつつあり、二人の子供はわりとまじめにそれを守っていた。それでもほかの友達よりむし歯が多かったのだ。

 そして、両親も歯が弱かった。となると、原因のひとつに井戸水を疑うのは自然なことだろう。井戸水には家族みんながお世話になったしおいしくもあったが、もし井戸水を常用していなければ、少なくとも歯については、ミヨ子たち一家には別の人生があったかもしれない。 

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