文字を持たなかった昭和 二百(秋の遠足、おまけ――イケダパン)
昭和40年代前半。鹿児島の小さな町の幼稚園では、秋のバス遠足の帰りにパン工場の見学に行った。「池田パン」という県内最大手のパン製造会社の工場だった。
気になったので池田パンのサイトを確認してみた。昭和23(1948)年創業以来順調に規模を広げ、いまはヤマザキパンのグループとして、南九州一帯にパンを提供している。
PRの一環らしいパンフレットもPDFでダウンロードでき、そこにはなつかしいパンやお菓子の数々が見える。
昭和24(1949)年発売のコッペパンは、子供だった二三四(わたし)は知らない。昭和36(1961)年発売の「ジェットパン」や、パッケージに宇宙船のイラストがある「シンコム3号」(月面探査船アポロを意識したのか?)は、おぼろに記憶がある。昭和38(1963)年発売の「ウエハウスパン」は、カステラに近い甘い生地の表面に薄くクリームを塗ったうえでウェハースで挟んであり、大好きだった。昭和42(1967)年発売の「スミレパン」はいわゆる「三色パン」で、三種類のあん(クリーム)が入ったおしゃれなパンだった。
下って、昭和51(1976)年発売の「ふくれ菓子」は、鹿児島ではおなじみの黒砂糖を生地に混ぜた蒸しパン。家でも作っていた蒸し菓子がパンとして売られるようになり、初めはびっくりしたのを覚えている。ちなみにこれらの販売開始年から二三四も食べたわけではなく、物心ついた頃にはそれらの製品があった、という記憶だ。
今回初めて会社沿革を読んだ。もともとは昭和23(1948)年に加世田市(当時。現みなみさつま市)に製粉製麺業を創業したのが始まりとのこと。昭和28(1953)年に池田産業として株式会社化、イケダパンに名称変更しヤマザキパングループに加盟したのは昭和63(1988)年。増資を重ね、デリカ部門も追加して今日に至っている。
幼稚園の遠足で見学したあの工場は、いまはない。でもパンの会社は残って、さらに大きくなった。帰省のときに地元のスーパーに立ち寄ると「イケダパン」ブランドの何種類ものパンは健在だ。
ただ、ひとつ。
二三四たちが小さい頃、「アベベパン」というパンがあった。アベベとは、1960年のローマオリンピック、昭和39(1964)年の東京オリンピック、それぞれの男子マラソンで金メダルをとったエチオピアのアベベ・ビキラ選手の名前をもらったパンだ。どんなパンだったかは覚えていないが、「裸足のアベベ」にちなむパンは子供たちから大人気で、大人たちもみんな知っていた。
あの「アベベパン」が、イケダパンのサイトにないのはなぜだろう? わたしが勝手にイケダパンの製品だと思い込んでいるだけで、もともと違う会社の製品だったのだろうか? 当時の流通を考えたら、他県や都市部のパンメーカーの製品が、農村の小さな食料品店で売っていたとも思えないが。あるいはアベベという固有名詞が問題になって、いまでは履歴としても載っていないのか。
どなたか、鹿児島で売られていた「アベベパン」についてご存知ないだろうか。
《参考》イケダパン