文字を持たなかった昭和 百九十二(町民運動会、余話)
昭和の後半、鹿児島の小さな町の運動会。競技のひとつで、父の二夫(つぎお)が得意だった「金ん輪回し(かねんわまわし)」について書いた。
二夫は――以前noteのどこかで軽く触れたと思うが――終戦の少し前、特攻に志願した。年齢が足りないという理由で(と聞かされた)操縦ではなく整備に回され、終戦を迎えた。整備兵として働く前に機械工学の基礎の基礎くらいは学んだのではないか。そして、整備に携わり、機体を動かして、兵士が乗って訓練したり実際に飛び立っていったりするのを見て、機械が動く仕組みと動かし方の基本を覚えたのではないか。
――と、初めて思った。
「金ん輪回し」で二夫は毎年活躍し、ほぼ例外なく一等賞をとった。あれは、ただ足が速く、「金ん輪」を扱うのがうまかったのではなく、十代の終わりに命をかけて特攻機とつきあった影響もあったのかもしれない。そんなことを、今日の今日まで考えたことがなかった。
二夫はずっと元気で、百歳も軽い、と周囲の誰もが言っていた。若い頃のことは、おいおいゆっくり聞こう、とわたしも思っていた。なのに、東日本大震災の少し前に83歳で急逝した。
お父さん。もっとたくさん話を聞きたかった。
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