文字を持たなかった昭和 帰省余話(2024秋 25) 施設帰着

 昭和5(1930)年生まれで介護施設入所中のミヨ子さん(母)の様子を見に帰省し、郷里へ連れて行ったお話である。入所後初めて施設(グループホーム)で再会し、車椅子も車に積んでふるさとへ。予定より遅れ順番待ちになった昼食やっと始まるも、ミヨ子さんが食べる速さは格段に落ちていた。時間がどんどん押す中ようやくわが家の跡に着く。ミヨ子さんの両親が眠るお墓へ連れて行ったが、時間に追われて焦るわたしの気持ちを感じ取ったのかミヨ子さんは不機嫌だった。

 お墓からわが家の跡に戻った。ミヨ子さんにひと息ついてもらうヒマもなく、レンタカーの助手席に乗せる。自力で立てない人を車に「乗せる」作業は極めて難しい。家庭菜園の手入れに来ていた息子のカズアキさん(兄)が手を貸してくれなかったら、もっと時間がかかっただろう。時間はもう2時、施設との約束の2時半に間に合わないかもしれない。
「じゃあ……病院に戻ろうか」

 「施設」と言いたくないし、そもそも自分が住んでいるのが介護施設だと理解していないらしいミヨ子さんに、わたしは「病院」と言い換えた。ミヨ子さんはおとなしく助手席に収まり、車はなつかしい景色からどんどん遠ざかっていく。

 有料道路に入り周りの景色が単調になったあたりで、昼過ぎに寄った親戚のTさん宅で奥さんにもらったふかしイモをミヨ子さんに見せたあと、一口大にちぎって後部座席からミヨ子さんに渡す。相変わらずおいしそうにミヨ子さんは食べる。ふかしイモのようなおやつが、施設で出されることはあるんだろうか、とふと考える。

 施設到着は約束の2時半を少し回ってしまった。この日の午後は入浴が組まれており、ミヨ子さんの順番を調整してもらっていたのだ。停車後急いでミヨ子さんを車椅子に乗せて「すみません、いま帰りました」と施設に入ると、ちょうど前の人の入浴が終わり体を拭いているらしいタイミングだった。

 「そのままでいいからこちらへ連れてきてください」。職員さんが車椅子を引き継ぎ、急いで浴室へ回る。わたしは朝預かった、おむつなどを入れたバッグを別の職員さんに返しながら「まだしばらくいるので、また来ます」と声をかけたが、更衣室へ消えたミヨ子さんに挨拶する余裕はなかった。

 ミヨ子さんが施設に入って4カ月、入所直後尿路感染から腎機能障害になって衰弱し、回復してから3カ月。心待ちにしていた再会、そして外出はこうしてあっという間に幕を閉じた。

 あとで考えれば「~~すべきだった」「~~すべきでなかった」ということばかりだ。お墓参りを強行した一件はその最たるものかもしれない。車椅子利用者の乗降車についても予習しておくべきだった。離れて暮らしていると、思いばかりが膨らんで現実が見えなくなる。

 願わくは、「少しでも喜んでもらいたかった」という娘の気持ちを、ミヨ子さんが感じ取ってくれていますように。

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