文字を持たなかった昭和 帰省余話(2024秋 17) ゆっくり食べる②
昭和5(1930)年生まれで介護施設入所中のミヨ子さん(母)の様子を見に帰省し、郷里へ連れて行ったお話である。入所後初めて施設(グループホーム)を訪ねて再会し、車椅子も車に積んでふるさとへ向かう。寄り道が祟って食堂のある海鮮市場には予定より遅れて到着、昼食は順番待ちになった。トイレに行きたいと言い出したミヨ子さんをなんとか介助した頃、やっと順番が来た。
ミヨ子さんはわたしが見たこともないほどゆっくり食べている。せっかくの――そしてもしかすると最後かもしれない――外食の機会。わたしは「これも食べて」と、ミヨ子さんのコロッケ定食にはない茶碗蒸しを、自分の天丼定食のお盆からスプーンとともに渡す。「あったかいうちがおいしいよ」と付け加えて。
ミヨ子さんはお盆の上の料理を見渡しては、気分が乗った(と思われる)ものに手をつけていく。茶碗蒸しの蓋も開けておいしそうに口に運ぶ。
ミヨ子さんは食べ物を残すのが嫌いだ。嫌い、というか「残してはならない」と堅く信じているようにも見える。裕福とは言えない家庭に育ち、育ち盛りは戦争中、戦後結婚してからは農家の嫁と、食べ物を大切にし続ける生活だった。昔を振り返って「ひもじかった」と語ったこともある〈URL289〉。だから、目の前にある食べ物はすべて「おいしく、全部いただく」という姿勢で一貫しているのだろう。
ただ、食べる速度がこんなに遅くなっているとは想定外だった。そもそも食事の開始時間が遅れた。わたしは、壁にかかった大きめの時計を見ながらジリジリしている。午後の予定がいくつかあるのだ。施設には遅くとも2時半までに帰る約束だ。ドライバー兼運搬係のツレも時間が気になるようで、こそっと「おうちの跡に戻ったら、できれば1時半には出発したいよね」とささやいた。
わたしはスキを見計らって、ミヨ子さんが食べかけの茶碗蒸しに蓋をしてお盆の向こう側に置いた。そして、ミヨ子さんのご飯茶碗も自分のほうに引き寄せながら
「お母さん、このあと『うち』に帰るから、(白い)ごはんはもういいんじゃない? コロッケだけ食べたら?」
と促した。
ミヨ子さんは「なんで?」という表情をしたあと、ちゃっかり茶碗蒸しの蓋を開けて中身が残っているのを確認すると、また食べ始めた。ごはんも「まだ残っている」と呟く。農家の嫁だったミヨ子さんにとって、白米のご飯を残すなんて「罰当たり」な行為だろう。
お母さん、わたしもそうなんだよ、ほんとうは。何より心ゆくまで食べさせてあげたい。でも、まじでそろそろタイムアウトだ。施設に迷惑はかけられない。おかずがあらかた片付いたところで、わたしは「そろそろ…」とツレに目配せした。
「ごめんね、出るからね」とミヨ子さんに声をかけ、車椅子を推して駐車場に戻る。ミヨ子さんを助手席に乗せるが、降ろすより乗せるほうが大変だ。お尻が上がらないのでツレと二人で悪戦苦闘である。時間は12時50分、このあとの予定をどのくらい消化できるだろう?
〈289〉「ひもじかった」思い出については、2023年早春の帰省について書いた項のひとつ「帰省余話21 ひもじかった」で述べた。