最近のミヨ子さん 施設入所予約
昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を軸に庶民の暮らしぶりを綴ってきた(最近はミヨ子さんにとっての舅・吉太郎の来し方に移ったあと、先月の帰省のエピソードをしばらく続けた)。
たまに、ミヨ子さんの近況をメモ代わりに書いてもいる。本項もそのひとつ。
ごく最近、ミヨ子さんと同居する息子、つまりわたしの兄から突然電話があった。スマホの着信を逃してしまったのでかけ直そうとしたら、ソッコーで固定電話にかかってきて「(スマホが)留守電に変わるのが早すぎるぞ」とまず小言。せっかちなのだ。
兄の用件はこうだ。
「母ちゃんの脚力が急に弱ってきて家のトイレに行くのも10分、15分かかる。デイサービスでも車椅子らしい。介護認定はまだ1だが手がかかるようになったので、施設入所の予約をしようと思う。
お前(わたしのこと)は、郷里の施設に入れたほうがいいんじゃないか、と前に言っていたが、もしもの時のために、こっちの家から近いほうがいいと思う。利用料は月〇万円くらいらしい。予約を進めるが、いいよな?」
ミヨ子さんが施設に入る―――。
先月の帰省の折りは、「続々・帰省余話1 思ったより元気」で述べたとおり脚力には以前よりむしろ回復が見えたぐらいだったし、お嫁さん(義姉)も「100歳まで大丈夫よ」と言っていたから、兄の電話は青天の霹靂だった。週明けの朝というある意味無防備な時間帯にかかってきたこともあり、かなりショックを受けた。
ミヨ子さんとの外泊はすでに諦めたが、施設に入ってしまったら、これまでのように会ったり、いっしょに食事したり、ビデオ通話で話したり、気が向いたときに手紙を送って――100%意味が通じないにしても――気持ちを伝える、といったことはできなくなる。そのことがズシンと腹に響いた。
詳しい近況をお嫁さんに聞かねば、と思ってスマホのアプリを開いたところメッセージが入っており、「お兄ちゃんから連絡あると思うけど」と前置きしたうえで、最近の状況を詳しく教えてくれてあった。兄貴が(おそらく)お嫁さんから聞いたことをかいつまみ、自分の解釈で伝えてきた内容よりよくわかり、少し落ち着いた。
お嫁さんによれば、施設と言ってもグループホームだという。そこに勤める人が近所におり安心感があるのと、アットホームな施設なのだそうだ。そして「お義母さんは世話好きだから、ここにいて(息子から)しょっちゅう怒られて萎縮するより、ほかの同じような人と暮らすほうが幸せなんじゃないかしら」とも。
わたしは、なんとも判断がつかない。ほんとうに幸せかどうかは本人でないとわからないだろう。しかし、肝心の本人のいろいろなコト、モノ、ヒトに対する認識はますますあやふやになってきている。
ただひとつ言えるのは、家族のことはまだしっかりわかっていて、家族が近くにいることが心の支え、楽しみになっているのは間違いないだろう、ということ。
兄は「もしもの時のために近いほうがいい」と言ったが、それよりも家族がちょこちょこ顔を出しやすい場所・施設か、のほうが大事だろう。その意味でも候補になっているグループホームはいいのかもしれない。面会も比較的融通が利くとお嫁さんも言っている。
兄と同じようにせっかちなわたしは、入所のとき持ち物は制限されるだろうから、ミヨ子さんの部屋の荷物はどうなるんだろう、わたしがあげたものや服などもけっこうあるが、持っていけない分はあの部屋にしばらく置いておいてくれるだろうか、などと先回りして考えている。予約したからと言って、すぐに入所できるわけでもないのに。
それにしても。高齢とまでいかなくても、年齢を重ねるということは制限が増えることでもあると改めて思う。年代、生き方で違うにしても、それぞれの「そのとき」に少しでも身軽に対応できるようにしておきたい、とこれまた改めて考えている。