友だちいないとダメですか?
「友だちいなくても大丈夫。そう言ってくれる先生が一人でもいたら、子ども時代をもう少し楽に過ごせたと思う」——子どものころ友だちがいなかったという若者がこぼしたその言葉を、聞き流してはいけないと思った。
この若者のように、今現在も友だちがらみで悩んでいる子どもはたくさんいる。中でも気になっているのが「友だち」というものに対する価値観の違いや既成概念に悩まされているケースだ。
そもそも「友だち」とは何なのか。辞書にはこうある。「互いに心を許し合って対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人」
一般的な定義はあれど、友だち基準には多少の個人差がある。関係の成立に人の心情がかかわるというところも「友だち」の難しいところ。人の価値観や心の機微は外からは見えにくいからこそ、その言葉も雑に扱ってはいけない気がしている。
友だちと簡単に言う勿れ
私たち大人は、普段から子どもたちの人間関係を「友だち」と一括りに呼んでいることが多い。「学校の友だち」「近所の友だち」「クラブの友だち」……しかし、当人たちの関係をよく知らずしてそう呼ぶことが、時に子どもの気持ちをざわつかせる。
「友だちと協力して…」と大人がかける声に「友だちちゃうし」と反応する子もいる。本人が言うのだからもっともなのだが、「なんでそんなこと言うの」と更なる友だちの押し売りが続く場合もある。友だちじゃないと言われた相手にしてみれば「頼むからそっとしておいてくれ」案件だ。
公の場で子どもたちの関係を表すときは「友だち」より「仲間」を使う方がいい。仲間とは、一緒に物事をする間柄。ここで学びたいと集まった仲間、同じ町に住む仲間、同じ趣味の仲間……感情で集まる「友だち」は荷が重いが、目的で集まる「仲間」なら安心して参加できる。好き嫌いは横に置いて、同じ目的のために力を合わせればいい。
みんな仲よく……できるかーい。
「みんな仲よく」——昔から子どもはそう言われて育ってきた。「誰とでも仲よくできる子がいい子」という価値観の押し付けは、仲よくなりたくともなれない子に「自分はダメな子」という負の感情を抱かせる。また、良い子であろうとする子が諍いを起こさぬようにと葛藤を押さえ込むこともある。
友好的な関係は望ましいと思うが「みんな仲よく」は目標が高すぎ君。みんなと仲よくできる人なんて、ツチノコと一緒で耳にするけど見たことない。「誰かと仲よく」なら、はさみ跳びの小学生でもチャレンジできそうだけど、「みんな仲よく」はブブカが棒を持って目指すやつ。
「みんな仲よく」できるならそうしたいが、そううまくはいかないから困るわけで「うまくいかないときの対処法こそ教えといてよ」というのが本当のところ。
仲よくできなくとも、相手を過度に否定したり排除したりせず放っておくことができたなら、合わない同士でもそこそこ共存していける。SNS等で容易に干渉できるようになった今の社会では、「仲よくする」よりもむしろ「放っておく」を教えることの方が大事なのではないかと思う。
「みんな仲よく」の真意は、相手の立場を尊重すること。「仲よく」という言葉を使うからしんどくなる。合わない相手を放っておくか、それでも仲よくなろうとチャレンジするかは本人の自由。
友だちたくさん……いるんかーい。
「友だちたくさんつくりましょう」——これも同じく言われてきたが、コミュニケーションのスピードもキャパシティも人それぞれ。人と打ち解けるのに時間がかかる子もいるし、自分にちょうどいい人間関係の広さ・深さというのがある。たくさん欲しい人はたくさん作ればいいし、これくらいでいいという人はそれくらいでいいのだ。
友だちがいないことは決して恥ずかしいことではないが、身近な人がそれを憂うのはキツい。何だか惨めな気分になるし、自分のことで心配する姿を見たくはない。心配をかけないようにと、無理をして気の合わない人と付き合ったり、同調圧力に屈したり、困っても相談できなかったりして疲弊していくケースもある。
大人が子どもの友だちづくりを急かしたり、過度に立ち入ったりすると、子どもに二重の負担をかけることになる。友だちになる過程も友だちじゃなくなる過程も、子どもにとっては大きな成長の機会だが、それには時間とエネルギーが要る。感情をともなう経験を通して、子どもは本当の知識や自らの価値観を得ていく。大人はドンと構えてそれを温かく見守るのがいい。
障害となるバイアスに気づき、ほどく
上記のように、一律に「望ましい子ども像」を謳うことは、一部の子どもの自分らしく生きる自由を束縛するという側面もある。それを防ぐためにも、今ある「子どもはこうあるべき」という既成概念を無批判に受け入れるのではなく、その内容は適当なものであるか、それを一律に求める必要はあるか、誰かの障害になっていないかをみんなで点検していく必要がある。
まずは「みんな仲よく」「友だちたくさん」の呪縛を解くだけでも、楽になれる子どもがたくさんいるはずだ。
友だちいないとダメですか?
冒頭の若者の言葉を聞いたあと、私が当時の先生だったなら「友だちがいない」という子どもに、どんな言葉をかけるだろうかと考えた。しかし、頭に浮かぶ言葉はどれもリアリティのない主観ばかり。あぁこれだ。これが価値観の押し付けにつながる。やるべきは「言葉をかける」前に「言葉を聴く」ことだと思い直した。
"Nothing about us without us.(私たち抜きに私たちのことを決めないで)"という有名なスローガンがある。子どもと接するときにも心に留めておきたい言葉だ。
同じ状況ひとつとっても、そこに至った背景や当事者の想いはそれぞれ違う。どんな事情があるのか、どう感じているのか、どうしたいのか。当事者を真ん中にして、本人の想いに向き合うところから始めれば、かける言葉もまたケースバイケースということ。
「友だちいないとダメですか?」と世間に問うべく書き始めたが、詰まるところ、それは本人に聞くのが先決だというところに行き着いたという話。
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